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文房具漫談
ぶんぼうぐまんだん
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆27 墨」 作品社
1985(昭和60)年1月25日
初出「文藝春秋」1933(昭和8)年10月号
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2020-04-27 / 2020-03-28
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         *

私は久しい以前から万年筆を使つたことがなく、日本紙と西洋紙と、二た通り原稿用紙を作つておいて、日本紙の時は毛筆、西洋紙の時は鉛筆を使ふやうにしてゐる。これは趣味と云ふこともあるのだが、私の場合は、寧ろ実際の上の必要が然らしめたのである。元来万年筆は墨を磨つたり含ませたりする手間がないだけ、毛筆よりはずつと速く書ける訳だが、不幸にして私には、此の万年筆の持つ長所が全く何の役にも立たない。なぜかと云ふと、私は非常に遅筆であつて、一行書いては前の方を読み返したり、立ち上つて室内を歩き廻つたり、茶を飲んだり一服吸つたりして、徐ろに考へながら後をつゞける。だから墨を磨るとか含ませるとか云ふ手数は、全然問題でない。却て何かさう云ふ仕事があつた方が、空想の時間を遣るのに都合がよい。つまり、手が間に合はぬ程文章が早く書ける人は、万年筆の長所を利用することが出来るが、私のやうな者には全体を書き上げる時間の上から云つて、万年筆も毛筆も選ぶ所はないのである。

         *

のみならず、私には又万年筆の短所が非常な害をする。と云ふのは、万年筆はなるべく軽く持つやうにして、すら/\と細く書くのに適するやうだが、私は一字一字力を入れて太く大きく、原稿用紙のコマの中へ字が一杯に収まるくらゐに書くのである。佐藤春夫なども太い字を書く方で、昔はよくGペンの腐り加減になつた、へたばつた奴を使つてゐたが、直きに折れてしまつたり、股が開き過ぎてインキを吸はぬやうになつたりして、ちやうど使ひ頃の間と云ふものは、ほんの僅かである。万年筆にも太く書けるのがないことはないが、しかし毛筆やGペンの柔かいもの程自在でない。それに、今も云ふやうに力を入れて書く段になると、万年筆では、どうしても抵抗が強く、知らず識らず手を疲らしたり肩を凝らしたりする。次ぎにペン字の不便な点は、インキの乾きが遅いために吸取紙を使ふ必要のあることである。尤もこれも、細く軽く書く人にはさまで必要がないのであらうが、私などは、書いた傍から一行一行吸ひ取らせて行かないと、手頸や原稿用紙を汚すことになる。分けても困るのは消しをした場合である。私は消しをした部分は、他人に読まれないやうに真つ黒に塗り潰す癖があるのだが、万年筆の細い線でまんべんなく塗り潰すのは甚だ手数がかゝる上に、何度も/\重ねて塗らないと、下の字が透いて見えるのである。ところで、やつと見えないやうに塗れたかと思ふと、今度はインキがギラ/\浮いて容易に乾かない。仕方がないから吸取紙をあてる。すると又下の字が見えて来る。それではならぬから、又塗り潰す。斯くの如くにして、しまひには原稿用紙に穴をあけてしまふことが屡[#挿絵]である。

         *

 以上の弊害を考へて、扨試みに毛筆を使つた場合を想像して見給へ。これらの不便は総べて除か…

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