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吉右衛門の第一印象
きちえもんのだいいちいんしょう
作品ID58931
著者小宮 豊隆
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻10 芝居」 作品社
1991(平成3)年12月25日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-09-05 / 2018-08-28
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 吉右衛門に初めて会つた時の印象を書いてくれといふ注文を受けたのであるが、その後引き続いてずつと会つてゐるせゐか、今私の頭の中にある「吉右衛門」の内のどの部分が第一印象の「吉右衛門」で、どの部分がその後の印象の「吉右衛門」であるか、どうも判然と区別をつける事が出来ない。古い日記のやうなものを引張り出して、あれこれ探して見たけれども、会つた日と、会つた時の連れの名前と、その他会ひに行く迄の段取のあらましとが書いてあるだけで、肝腎の吉右衛門の第一印象に就いては、何所にも何も書き留めたものがない。思ふに、当時吉右衛門に会ふといふ事は、私にとつては一つの「事件」だつたのだから、吉右衛門に会つて私の頭はその印象で一杯になつてしまひ、それが幾日か続いた為、筆をとつて書き残して置かうと企てても、旨くその整理をつける事が出来ないので、尻切れのまま途中で已めてしまつたものらしい。それでも今、かうしてその記述の断片を前に置いて眺めてゐると、晴れて行く霧の朝かなぞのやうにさまざまな光景が、ぽつりぽつりとその姿を現はしてくる。
 日記の初めに「十二月五日」とある。吉右衛門が『光秀』をやって[#「やって」はママ]、菊五郎が『実盛』を出してゐる時の事である。――私が『中村吉右衛門論』なるシュレックリッヒな論文を書いた時には、私はまだ吉右衛門に会つてゐなかつた。さうして是を私は、森川町の下宿屋の二階で、大きな氷の塊を机の傍に据ゑて、汗を拭き拭き書いた記憶があるから、是はなんでも七月か八月かの、暑い時分に出来上がつたものである。従つて「十二月五日」といふのは、年号が書いてないからよくは分からないけれども、多分その年の十二月か、それでなければ、その翌年の十二月かであるに違ひない。さうすると、それは明治四十四年か、大正元年かの事だといふ事になる。私はその日に、市村座に見物に出かけてゐるのである。
「勘弥の治兵衛が実につまらない。それで『紙治』の幕をつちやの二階に敬遠する事にする。阿部と伊藤と柏木と四人きりで雑談してゐると、播磨屋連の幹事らしい男がやつて来て、いろいろ話をする。芝居は大抵変り目毎にはお出になりますか、と聞くから、いや此所だけは、一興行にどうかすると三度位は来る事もあると答へたら、へえと言つて驚いてゐた」と書いてある。阿部は無論、阿部次郎の事、伊藤といふのは、今独逸にゐる慶大教授の伊藤吉之助で、柏木とあるのは、最近紐育から帰つて来た日本銀行の柏木純一である。当時、私達四人はよく一緒に市村座へ見物に出かけた。この「十二月五日」は、なんでも阿部の知つてゐる銀座辺の呉服屋の若旦那の紹介か何んかで、初めて『播磨屋連』といふ連中に這入つて見物したのであつた。「幹事らしい男」といふのは、後になつて知つたのであるが、小石川だか本郷だかの、宮村さんといふ連中屋さんである。私達はその後この宮村さんの…

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