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鴨川を愛して
かもがわをあいして
著者新村 出
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆33 水」 作品社
1985(昭和60)年7月25日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-08-17 / 2019-07-30
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

鴨川を愛して


上賀茂のダムのあたりの河鹿のね老いには今やきこえすなりぬ

 私が京都にきたのは、欧州留学から帰った直後の明治四十二年五月でした。いまから、もう五十三年も前のことです。
 さっそく、京都大学教授として教壇に立つはずでしたが、当時は、いまと違って、大学だけは七月に学年が終わり、九月十日から新学年がはじまることになっていましたので、三学期は教壇に立たず、教授会に顔を出したり、新進の人たちと話し合ったりしながら、東三本木の「信楽」という下宿兼旅館のようなところで過ごしました。
 ここは、頼山陽のいた山紫水明処、別名を水西荘ともいった地の北隣で、加茂川の西岸にあり、川を隔てて東山一帯はもとより、比叡山、比良山が一望できるところでした。また、このあたりは、幕末から明治にかけて文人墨客が多く住まいしたところで、対岸には漢学者梁川星巌や、陽明学者春日潜庵の住んでいた家がみえたほか、南画の大家富岡鉄斎、越前の国学者橘曙覧(井手曙覧ともいう)などもおりました。いまは、すっかりかわって、東三本木にそのおもかげはなくなりましたが、当時は、柳暗花明の風流のちまたであったわけで、明治末期の風流文学史になるところが、あちらこちらに残っておりました。
 私のいったころ、この「信楽」は、谷出愛子という中年の婦人が経営しておりました。この人は、与謝野晶子と女学校友達でしたので、よく食事の給仕にきてくれたときなど、晶子さんのことや、鉄幹との愛情関係などを話題にしたり、あのあたりの情緒などをきいたものです。こうして二カ月あまり、ここで暮らし、朝な夕なに加茂川の情緒を味わったことが、私が加茂川を愛するきっかけになったといえましょう。
 この「信楽」には、京大の文科や理科の教授がよく出入りしておりました。そして、句会を開いたり、風流を語り合ったりしていたものです。私は、碁のおつきあいはしませんでしたが、湯川秀樹君の実父にあたる小川琢治君なども、よくここにきて碁などをうっておりました。この人は東大で地質学をおさめ、満州で地質調査などをした人ですが、個人的に漢学の造詣にも富んでおり、まれにみる文理両方をかねた人でした。また、私といっしょに西洋から帰ってここへきた人に上田敏、柳村と号した同郷の江戸幕府出身の英文学者がおりました。この人も専門は英文学でしたが、学の広い人で仏文学にも和漢の文学にも相当親しみをもった人でした。留学中、上田君はイギリスに長くいましたが、私の方は言語学でドイツが本場といっていいようなものですから、ドイツのベルリン大学に行き、その後、イギリスのオックスフォード大学、パリのソルボンヌ大学などに合計二年ほどいて帰ってきたのです。
 このほか、江戸文学の権威で、日本で最初の江戸文学の講座を受け持った人として有名な藤井紫影や、国語学者の吉沢義則なども、よくきておりました。藤…

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