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骨董品化した古珍書
こっとうひんかしたこちんしょ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻12 古書」 作品社
1992(平成4)年2月25日
初出「古本屋 創刊號」荒木伊兵衞書店、1927(昭和2)年4月15日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-07-28 / 2018-06-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

大阪の書肆中に於ける第一の人格者と認められて居た故荒木伊兵衛氏、其性格の温厚、篤実は実に算盤玉をはじく人に不似合と思はれるほどであつた、それで予は在阪十余年間、絶えず伊兵衛氏の厄介になつて居たので、東京に帰つて後も其ナツカシ味が失せず、時々の音信を嬉しく思つて居たが、突然の訃に接して愕き悲んだことは尋常でなかつた、それがハヤ壱周忌の記念として血嗣の旧幸太郎氏が、「古本屋」といふ雑誌を創刊するとの報、何を捨置いても故人の追善供養として一稿を寄せずばならぬと、忙中筆を呵して思出のまゝを草したのが此一篇である。
明治四十一年の十月下旬、鹿田松雲堂へ立寄ると主人静七氏が予に対して云ふには「西鶴の好色一代男を先頃手に入れましたが、誰も買人が無いので困つてゐます、先生一つ買つて下さいませんか」とのこと、予は絵本買入が専門であつたので「浮世草紙は集めない事にして居るのであるが、一代男は其代表物であり、絵入本であるから、廉価なれば買つて置いてもよろしい、代価はイクラです」との交渉で、遂に天和二年大阪思案橋際荒砥屋版の大本八冊を三十二円で買つた、それを江戸堀南通四丁目の宅へ持つて帰ると、亡妻が「マタ古本買ですか」と顔をしかめる、予が「これは珍本なので此八冊が三十二円であつた」と述べて投出すと折柄来合せて居た某家の細君が「オヤ勿体ない、その金で上等のお召が買へますネー」と云ふ、予は其細君に「さうでせう、然し此本は二百年前の物です、アナタは其半数たる百年前の着物すらお持ちになつてはゐますまい」と非論理的の理窟で其場を茶化した事もあつたが、此好色一代男を大正二年の春、予が蔵書を売却する時、七十五円の高価で売つた、其後大正十二年の春頃、即ち満十年後のこと、一日東京神田元佐久間町の清水源泉堂に行つた時、店頭に見覚えのある好色一代男を並べてあるので、それを手に取つて見ると、五巻か六巻かの題箋一枚は版物でなく予が手写したもので、確かに予の旧蔵品、廻り廻つて東京へ来たものと知れた、其時源泉堂主人の言に「これは八百円に売らねば利得にならないのです」との事であつた、其後転々して浅倉屋が某家へ千五百円で売り込んだと聴いたが、今は時価二千円以上と唱へて居る、こゝ数年後には三千二百円位に騰貴して、予が松雲堂で買入れた時の価三十二円の百倍になるであらう。
次も同じく明治四十二年の十月下旬、好色一代男を買入れた満一年後、或夜京都寺町若林書店の番頭が予の宅へ来て、元禄六年版の四場居百人一首即ち鳥居清信筆の珍本を差出し、これをお買ひ下さいとの事、代価はイクラかと尋ねれば七円との安値、喜んで購入したが、これも前のと同時に百円の高入札で売却した、それを買入れた書肆は百五十円とかで故渡辺霞亭に売込んだと聴いて居たが、昨年(大正十五年春)予が東京帝国大学図書館へ紹介して購入せしめた霞亭文庫の蔵本中に右の一冊が加はつて…

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