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屍体異変
したいいへん
作品ID58947
著者森 於菟
文字遣い新字新仮名
底本 「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」 平凡社
1962(昭和37)年11月20日
入力者sogo
校正者きゅうり
公開 / 更新2018-09-13 / 2018-08-28
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「解剖家は須らく困難に耐ゆる事仙人の如く技巧を凝らす事美術家の如く、しかも汚穢を厭わざる事豚の胃袋の如くなるべし。」之は解剖学の大先達のヒルトルの言である。解剖家の仕事が汚いと云う事は医師以外の社会人の常識であるらしい。ひょっとすると解剖家以外の医師の大部分も之に入れるべきかも知れない。
 十年以前私が独逸に留学していた時、或教授の私宅に茶の招待を受けた。それは考古学の方面の教授であったが、夫人と種々家庭的の打ち解けた話をした中に「よく解剖家に娘をやる母親があるものだ」と云う言葉があった。医学者でないにしても科学で凝り固まったような独逸の教授夫人で此言がある。尤も独逸の嫌うのは解剖家に限らず、屍体をいじる職業でなくとも日本人や支那人は虫が好かぬらしい。人伝に聞たのでは[#「聞たのでは」はママ]あるが良家の令嬢に日本人が求婚した時、娘がかわいそうでやれると思うかと其母親が云ったという。之は其日本紳士が特に風采揚らなかった故であるかもしれぬが、又私のある友人が指導教授にお前は日本人にしては立派だとほめられたのを考え合せても一般にちぢこまった汚らしい者のように考えているのはたしかである。これは欧州人が自己を遙に優秀な人種と確信している先祖から伝わっている固陋な先入観念から来る。独逸人は生一本の野性から正直に之を云うに過ぎぬので米人の排日とは又訳がちがう。近来のナチスの異人種排斥は彼等の野性の極端な発現であるとすれば怪しむべき筋でもなく、日本大使館の抗議に対して有色人種の中に日本人を含んでいないなどというのこそ、ナチス党員の真底の心持を偽った外交辞礼に過ぎぬように思われる。彼等として日本人の勇気や才能は十分認めているから、戦争の時味方になって貰ったり学問の共同研究をするなぞは好もしいが一つ鍋のものを食ったり、夫婦親子のつきあいをするのはなるべく御免蒙りたいというのが真実の感情であろう。
 話が横に外れたが有色人種はとも角、解剖家(一寸断って置くがこれは Anatom の訳語で「かいぼうか」とよむので決して「かいぼうや」と訓じてはならない。中には解剖で衣食すると云う意味でかいぼう屋とよぶ不都合な人間も無いではないが之は我我を侮辱する事の甚だしい者である)が何故嫌われるかというと、一つは汚いものをいじるという事で、他の一つはおばけにつかれていはしないかと云う危惧である。もう一つは医者から坊主への間に立ち入るという意味での神聖の冒涜であるが此非難は今では余程古い思想の持主でなければ之を聞かない。前の二つに対しても一一反駁する事は煩わしくもあるし馬鹿気ているからすべて省略する。ともかく私一個人としては汚いとも気味が悪いとも思わない。そして世間には医者にもそれ以外にも我我より遙に汚い又は気持の悪そうな職業が沢山あると考えている。
 世間に殺人とか変死体があると新聞ではす…

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