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再びこの人を見よ
ふたたびこのひとをみよ
作品ID58952
副題――故梶井基次郎氏
――こかじいもとじろうし
著者菱山 修三
文字遣い新字旧仮名
底本 「梶井基次郎全集 別巻」 筑摩書房
2000(平成12)年9月25日
初出「作品 第二十五號」作品社、1932(昭和7)年5月1日
入力者大久保ゆう
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 梶井基次郎氏が死んだ。――氏の生の論理もたうとう往きつく処まで往きついた。それはもはや何ものも語らない。在るものは寂寞ばかりだ。まことに死は現実の極点であらう。氏は最後のその死を死んだ。そこからはもはや何にも始まらない。唯現在、何かが始まるとすれば、――それはまさしく私の入り込んでゐる薄暗い、冷やかな、しづかな世界以外の処ではないであらう。
 ……始めにはよく歩いてゐた、驀地に歩いてゐるなと思つてゐると、屡々立ち停つたり振り顧つたりして、それでもよく歩いてゐた。その内に坐らなければならなくなり、それから全く寝ついて了つた。それにも拘はらず、氏の「眼」はその生涯をとほして変りなく輝いてゐた。即ち氏はその克己の、その超己の生涯をとほして立派に歩き続けたのである、第一流の作家が恒にさうであるやうに。しかも、死と病苦とを鷲掴みにしながら、敢てこれに戯れながら。氏の作家的業苦は恰も大樹のやうに氏を成長せしめる以外のものではなかつた。けれどもこの大樹は次第に枝先から、やがてその全体が一遍に枯れて了つた。氏の死面の上には、おそらく原始人のそれのやうに深い苦悩と共に、それにもまして大きな安堵が休んでゐたことであらう。
 ある夜、氏は暗のなかを歩いてゐた。氏のずつと前方には氏と同じいやうに灯なしで歩いてゆく一人の人がゐた。暗に満たされた路上の遥か向ふには一軒だけ人家があつて、楓に似た木が幻燈のやうに灯を浴びてゐる、その家の前の明るみのなかへ氏の前をゆく人が不意に姿を現した。すると、やがてその人はその明るみを背にしてだんだん暗のなかに沈んで行つて了つた。「自分も暫くすればあの男のやうに闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立つて見てゐればやはりあんな風に消えてゆくのであらう*。」このとき氏は懾然としてこのやうな感慨を抱きはした。まさしく氏はその肩の上に担つてゐるシメエルの顰め面を眺め返へしたことであらう。しかしそれを顧りみたときでさへも、氏の眼の写したものは、氏自らの宿命を踏み越えた、悲哀の心情を絶した、美のきつい一つの表情であつた。人々は氏の精密な構造を備へた眼に常に愕くであらう。しかしなほ、愕くべきことはその先にあるのだ。そのいづれの精神的遺産に於いても、氏の眼がこのやうに必ず美の形態を捉へずに措かなかつたことを人々は愕くべきだ。氏は断じて感傷家ではなかつた。もとより氏も一日に何遍か倒れたに違ひない。屡々「諦め」に近い観想が氏の重い病苦の胸のなかを去来したに違ひない。けれどもその結果は必ず、もともと氏の肉体に深く根ざしてゐる強い意欲となつて還つて来た。氏にあつて、その夢がその行動を離れてはなかつたやうに、またその意欲は氏の審美的志向を離れてはその充分な意味を担はなかつた。氏は純粋に感性的作家であつた。と共に、怖るべき意欲的作家であつた。まことに氏の如くに病苦と闘ひながら、…

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