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編集者今昔
へんしゅうしゃこんじゃく
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第二十九卷」 福武書店
1984(昭和59)年3月31日
初出「群像 第九巻第二号」大日本雄弁会講談社、1954(昭和29)年2月1日
入力者山村信一郎
校正者フクポー
公開 / 更新2020-03-03 / 2020-02-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この頃は回顧談が流行してゐる。昔の有名人の噂などはことに雜誌の讀者に喜ばれてゐるらしくも思はれる。讀者の喜ぶか喜ばぬかは別として、筆者自身いい氣持で書いてゐるらしい。芥川に關する回顧談、回顧的作品など、私の目に觸れただけでも幾つあつたことか。芥川龍之介といふ大正期の作家が、どれほど傑かつたにしろ、どれほど人間的妙味に富んでゐたにしろ、その噂はもう澤山だと云つた感じがしてゐる。私も幾度か芥川に會つて、その才人的話し振りに接したことを幸福とし、光榮ともしてゐるのであるが、現在の芥川ばやりは、ちよつと合點が行かないのである。私もみんなの仲間に入つて、芥川回顧談を一席打てば打てないこともないけれど、既に時期がおくれてゐるので、それは止めることにして、まだ誰もやらないらしい「編輯者」回顧談に先鞭を着けようとしてゐる。
 回顧すると古い事であるが、私自身、編輯者であつたのだ。私は學校を卒業すると、直ぐに早稻田の出版部に奉職した。文科講義録の編纂員となつたのであつた。伊原青々園の『日本演劇史』は、はじめてこの講義録に出ることになつて、私は原稿取りに出掛けてゐた。出版部仕事は興味もなく、私には不適當であつたので、半年あまりで辭職した。その後一年ばかりして讀賣新聞に入社して、訪問記者となり、編輯者となつて、七年間どうにか勤めたのであつた。その間の私の編輯者としての行動を、こゝでくど/\と述べるのは遠慮すべきであるが、たゞ一つだけ云つて置きたいと思ふのは、出版部の編輯者としても、新聞の訪問記者としても、私は名刺といふ物を殆んど用ひなかつたことである。出版部の時には名刺を作らなかつたのではないかと回顧されるが、讀賣の時には作る事は作つても、殆んど用ひなかつたのではないかと、私は記憶してゐる。現今は、新聞記者や雜誌記者、出版業者などは勿論の事、作家でも畫家でも、やたらに名刺の交換をやつてゐるのが、よく私の目につくのである。どうしてあゝ名刺のやり取りをするのであらうかと、私は自分の昔を回顧して不思議に思ふのである。日本人はことに名刺交換癖があるのではあるまいか。
 文學藝術方面の編輯を擔任してゐた私は、自然主義主唱者側の評論を、紙上に採用するやうになつたらしかつたが、世間で見られてゐるやうに、私は熱心に自然主義の肩を持つた譯ではなかつた。泡鳴、秋江の感想や論文は、毎週の文學附録に掲載してゐたが、それは彼等が、これから生ずる零細な原稿料を定收入と極めて持ち込んで來るから、採用してゐたのに過ぎなかつた。演劇の小山内薫も美術の石井柏亭も文學附録寄稿の定連であつたのだ。木下杢太郎のひねつた藝術論も幾度も出したし、新歸朝者永井荷風のものも何度か掲げた筈である。しかし、私の在社中の讀賣は、自然主義鼓吹か自然主義擁護かの色彩が濃厚であつたやうである。それから、雜誌では、抱月の「早稻田文學」、田山…

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