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青べか日記
あおべかにっき
副題――吾が生活 し・さ
――わがせいかつ し・さ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青べか日記」 大和書房
1971(昭和46)年11月10日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2018-08-16 / 2018-08-21
長さの目安約 76 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

しっかりしろ三十六、貴様は挫けるのか、世間の奴等に万歳を叫ばし度いのか、元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、そして確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、貴様にはその力があるんだぞ、忘れるな、自分を尚べ大事にしろ。そして、さあ、笑え。

二五八八年=昭和三年=二五歳(在浦安町)

 今日は堀の薬師さまの縁日であった。高梨夫妻が誘いに来たので出掛けた。あの留さんも一緒だった。縁日は大変に賑やかだった、娘達が大胆である、驚いて了った。十五位の身重の少女を見た。弟と「きく」とに手紙を書いた。石井に「彼等は踊る」に就いて烈しい非難の手紙を書きかけたが止めた。どうなるものではない。神の御心のままに任せよう。此の間に「津」の母親の死があった。遂に空しい望みを抱いたまま、哀れな母は死んだ。「津」は正に詐欺である。今は十時過ぎである、盆踊りの唄を歌って通る若者や娘達が絶えない。彼等の一年に一度の「解放」されたチャンスに祝福あれ。よき眠りがあるだろう、静子よ、末子と余を守ってお呉れ。(二五八八・八・一二)

 二日間日記を休んだ。一昨日は末子の家を訪ねた。彼女はもう知っているらしい。非常に懐かし気な眸で余を見守っていた。殆んどもう婚約は出来た。しっかりやろうぞ。「秋風記」プランを立てているがうまくゆかぬ。少し今日は憂鬱である。今夜は夜明かしで土地の盆踊りをみる積り。をも来る筈、今は夕刻である。
 盆踊りを見て来た。踊りには一定の「振」はない。ただ男と女とが密接して環をなし、躰を揉み合うようにして廻り乍ら唄うのである。唄には独特なものはなく、然も三種位の節があって、「環」毎に節が異なっている。殊に面白いのは娘共が大変に元気で、音頭取りをやっていることである。非常にワイルドで、また極めて肉感的である、情欲そのままである。月はない、娘達も若者達も全く何のこだわりもない、解放されている。露深い草地に営まれるであろう彼等の愛に祝福があるように。さて寝よう。末子よ卿によき夢があるだろう。(八、一五)

「を」の文字わが日記より消え去る。唯それのみのこと。昨日彼女の兄と「を」とが会った。殆んど話は決った。昨夜は独り晩く帰って来て、当代島で最後の盆踊りを見た。今は朝である。早朝雨を冒して堀の浜辺へ出かけて行った。途中あまり雨が激しくなったので養魚場の土堤で、ポプラの並木の下で佇んだ。養魚場の広い池に、鵜が水にもぐっては魚を喰べているのを見た。浜辺へ出たら、海水小舎の蔭で、強い風を避けて漁舟がもやっていた。余は小舎の中に腰を下ろして風に騒ぐ蘆を見て二刻を過した。家へ帰ったら裏の籠屋の小娘おたま嬢が余を待っていたと云う。さておたま嬢と遊ぼう。
「砕けたタムラン」浄書している。つまらない。併し兎も角も金を稼がねばならぬからな。今日も一日雨だった、少し肌寒い位だ、今は十時である、裏のごったく屋で…

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