えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

和紙
わし
作品ID59020
著者東野辺 薫
文字遣い新字新仮名
底本 「芥川賞全集 第三巻」 文藝春秋
1982(昭和57)年4月25日
初出「東北文學」1943(昭和18)年4月
入力者kompass
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-06-25 / 2023-06-19
長さの目安約 72 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より



 昨夜寝床に入ってからも、あれこれと思いめぐらしてみたのだが、別にこれという嘘言も浮かんでは来なかった。新聞の広告で見た新刊書がどうしても買いたくなったからと、半日をつぶすにしてはいかにも気の利かない口実とは承知でも、ともかくそんなことで町へ出ることにした。まだ細紐だけで炉の火を焚きにかかった母に、起きがけの一服をつけながら友太はさりげなく言い出した。
「……何せ、早く買わねどすぐ売り切れてしまうで……。」
「んだどもや。この頃は何でもそうだ。」
 何も知らない母は気の毒だったし、自分としても、この上もない気苦労をさせられることを考えると、弟の惣吉が今更いまいましいものに思われてくるのであった。
 昨日突然、としゑからの手紙を受けとると、早晩何か面倒を持ちかけられそうな不安が絶えず心を掠めていただけに、友太の心はもう重苦しく沈んでしまった。是非相談をしたいことがあるから、この前の旅館まで来てほしい、こちらからは二時までに間違いなく行っている。村までお訪ね出来ない身の上をお察しいただきたいと、そういう意味が割合しっかりした文章で書いてある。封筒の名はとしゑをもじったつもりであろう、つとめて男めかした筆跡で、山田敏英としてあった。はじめての人だが誰だろうと訝る妹のよしには、専売局の友達が惣吉の行先を訊いてきたのだと、それでも咄嗟に誤魔化すことが出来た。相談というものの見当も皆目つかないが、何かあったら遠慮なく言ってくれと、あの時はっきり言い切っている手前もあり、会わないわけにはゆかなかった。先方には、なるほど日曜という休日には相違ない。しかし、こちらの村の仕事では平日に変りはなく、しかも今最繁忙期である大切な半日をつぶすことが、どんなものであるかを一向に考えていないことにも、最初は腹立たしくさせられた。が、落ちついてみれば、これは、女工である女にそこまで気の配れるはずはなかった。
 もともと弟の惣吉が、両親にはひた隠しに隠しながら、友太にだけこの女のことを打ち明けて、あとの一切を委せて征ったということは、異母兄である友太に寄せる全幅の信頼を示してはいた。たとえば惣吉の肚の奥には、出征中女の身の上に何かいざこざが起って表面化されねばならない場合、父と母とがそれぞれの立場から抱いているに違いない友太に対する複雑な心理の陰影を、言わば一つの緩衝地帯に利用して、自分に向けられるものを少しでも緩和しようという、多少狭い虫のよさがあったとしても、それくらいのことは許せないものでもなかった。友太の方がひがまないで、惣吉がひねくれるのはまるで反対だと、親戚のものがそんな噂をし合ったのは惣吉がまだ十二三の頃であった。
「あんちゃ(兄さん)のおっかァ(お母さん)はおとっさ(お父さん)と兄ちゃを置いて逃げたんだってや? そうだ兄ちゃに俺家の財産みんな譲んのかや、なお母ァ。」
 …

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko