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鶺鴒の巣
せきれいのす
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「尾崎士郎短篇集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年4月15日
初出「新潮」1927(昭和2)年9月
入力者入江幹夫
校正者フクポー
公開 / 更新2020-02-05 / 2020-01-24
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 鶺鴒が街道に沿った岩かげに巣をつくった。背のびをしなくても手の届くほどの高さであるが、今まで誰れも気がつかなかったらしい、ということをある夕方瀬川君が来て話した。瀬川君の宿と南里君の宿とは十町ほど離れているが、道は一本筋だから彼は南里君の宿へあそびにくるごとに鶺鴒の巣の前を通るわけだ。巣のある場所は瀬川君の宿に近いところで、そのちょっと手前に小さい石地蔵がある。そこは真っ暗な道で、足の下の樹立の闇をえぐってひびいてくる激流の音が絶望的な呻き声のように伝わってくる。しかし、断崖は石地蔵の少し先きのところで道に並行して急に傾斜しているのでその突端までくると、瀬川君の宿のあかりが見えるのである。鶺鴒の巣のあるのはその曲り角だ。曲り角では人間は大抵の場合、遠い眺望の変化に気をとられて、すぐ眼の先のことを忘れているものだ。だから、鶺鴒が街道筋の断崖の上に巣をつくったのは大胆すぎると言えば大胆すぎるが、しかし賢明な方法であったとも言える。何故かといって往来に近い場所の方が蛇を避けるには都合がいいにきまっているし、それに第一、彼は人間よりも以上に蛇を恐れなければならないのだから。――
 瀬川君は妙に昂奮しながら話した。彼がその巣を見つけたとき、町はずれの淫売宿にいる若い女がうしろからのぞきこんでいたということに彼は不安を感じていた。
 次の日、南里君はその巣を見るために出かけた。石地蔵のところから、南里君は丹念に断崖の上に注意していったが、しかし、何処にあるかまるでわからなかった。南里君は茫然として立ちどまったまま所在なさに煙草を喫うためにマッチを擦った。すると、その音に驚いたようにすぐ眼の前の岩の小さい裂け目から羽搏きをしながら一羽の鶺鴒がとびあがった。南里君は慌てて身をひいた。その裂け目の上の方に枯草を積みあげてつくった小さい巣と、その中におずおずとうごいている三つの雛の頭をたしかに見たからである。一瞬間、南里君はかすかな衝動に襲われた。南里君が手をのばしさえすれば一羽の雛を容易に奪いとることができるのである。南里君はその雛が欲しいのではない。唯、自分の盗心が誰れにも気どられないで済むという気持が彼を唆りかける。――南里君はそっとうしろを見た。誰れも近づいてくる者はない。南里君は素早く手をのばした。南里君は心臓が顫えるのを意識するとほとんど同時に指の先きから伝わってくるやわらかいぬくもりの中に少女の生活を感じた。南里君は自分が今何をしたかということについて考える余裕もなく一羽の雛をつかんで右手を懐ろの中へ入れたまま自分の宿の方へ歩いていった。道が行詰って新しい道につづく橋の袂まで来たとき、雛の身体から伝わってくるぬくもりが次第に衰ろえつつあるのを感じた。懐ろの中であまりに強く握りしめたからであろう。そっと掌をひろげてみると雛はもう死んでいる。南里君はその死骸を川ぞい…

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