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叛骨・中野正剛
はんこつ・なかのせいごう
作品ID59038
副題――主観的な覚え書き
――しゅかんてきなおぼえがき
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「尾崎士郎短篇集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年4月15日
初出「別冊文藝春秋」1963(昭和38)年9月
入力者入江幹夫
校正者フクポー
公開 / 更新2022-10-27 / 2022-09-27
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 年譜によると、中野正剛が、衆議院議員に初当選したのは大正九年五月だった。議会における処女演説が、新人政治家としての彼の存在に鮮烈な印象をあたえたのは、同じ年の七月に召集された第四十三特別議会である。
 このとき、中野と時を同うして初当選し、同じ議会で処女演説を行ったのが彼と同門の早稲田出身である永井柳太郎であったことが、両者の後輩である私の心に深い感銘を残している。
 このとき、永井は四十歳、中野は三十五歳であるから、年齢には相当の開きがあったとはいえ、両者ともに一般民衆の心に青春の象徴というかんじをあたえたことだけは確かである。
 永井柳太郎に私淑して少年の一時期を過した私は、中学時代から、偶然の機縁で相識の間柄であったが、この両者に対する魅力は、過ぐる年、入幕当時の好敵手、柏戸、大鵬という表現が、もっとも適当しているようである。

対蹠的な好敵手
 大正九年であるから、私は二十三歳で、学籍はまだ早稲田大学に置いていた。
 時の内閣総理大臣は原敬であるから、もちろん政友会内閣であるが、この二人を迎えた議会が急に明るい輝きを加えたことは、ひとり私だけの感慨ではない。私が早稲田の学生時代に、永井はすでに教授であったが、中野は大先輩とはいえ、やっと東京日日新聞(現在の毎日新聞)に入社したばかりのときだった。
 私の頭の中では、現在もそうであるが、その頃から、時代的に対立する二つの花やかな人間像としてうかんでくる。
 永井は、明治四十一年、オックスフォード大学留学中(二十八歳)に片足を切断したが、中野もまた大正十五年、左足の整形手術を誤って隻脚となった。学生時代の中野の声名が、私たちの予科生(現在の高等学校)時代においても、全校を圧倒していたのは、彼の人間内容や、識見抱負よりも、むしろ柔道の選手としてであった。あの頃、日本の柔道界に不世出の存在として知られ、しばしば暴力沙汰を起して儕輩のあいだに畏怖と敬遠の的にされていた徳三宝との試合に勝ったということが、中野に対する人気を湧き立たせたのは当然であろう。
 学生時代の私は、もちろん、この肩で風を切って学生街を闊歩する大先輩と親しく話し合う機会なぞのあるべき筈もなかったが、いつも洗いざらしの紺絣の着物に、小倉の袴を裾短かにはき、心持ち左肩をそびやかすようにして歩いてくる中野正剛の姿を仰ぎ見るような思いで眺めたものである。
 そのかんじは、一見、無造作で、何の屈託もないような豪放闊達な印象にみちみちてはいたが、しかし、よく観察すると、一挙一動に意識的な誇張があり、微妙で神経的な技巧がかくされていた。
 これも、私一人だけの記憶をかすめる印象ではなく、一種のスタイルを否定したスタイリストというかんじが、ほかの学生たちの眼にも映っていたらしい。
 それは、しかし、決して、作為に終始するかんじではなく、むしろ、知性のもつ独…

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