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秘密礼拝式
ひみつれいはいしき
著者
翻訳者森 郁夫
文字遣い新字新仮名
底本 「別冊宝石一〇八号=世界怪談傑作集〈第一四巻第五号〉」 宝石社
1961(昭和36)年10月15日
入力者sogo
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2018-12-10 / 2018-12-07
長さの目安約 70 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 絹商人のハリスは商用がすんで南ドイツを故国へ帰る途中、この際ひとつシュトラスブルクから登山鉄道に乗って、じつに三十年もの歳月を経たこんにち改めて母校を訪ねてみようと、とつぜん思いついた。そして、ジョン・サイレンス(沈黙のジョン)が全生涯で最も不思議な事件の一つに接したのは、セント・ポールズ・チャーチャードにあるハリス兄弟商会の若い方の協同経営者が起こした、この気紛れな衝動のおかげであった。というのは丁度そのときハリスはたまたま旅行用背嚢を背負って、そのおなじ地方の山々を徒歩で旅しており、こうして羅針盤の二つの違った方位から、期せずして二人の男がおなじ宿屋へ向かって進んでいたからである。
 今なおその学校は、三十年のほとんどを儲けの多い絹の売買についやしてきたハリスの胸の奥底に、独特の影響のしるしを残しており、またおそらく彼には自覚されていないにせよ、その後の人生全般を強烈に色どっていた。学校はプロテスタントの小さな村落共同体の徹底的に宗教的な生活に従属しており、ハリスの父は、彼を十五歳のときにそこへ送ったのだった。ひとつには、絹の商売に必要なドイツ語を学ぶためであったし、ひとつは、当時の彼の精神と肉体がほかのなによりも必要としていた訓育が、そこでは厳格だったからであった。
 生活はじじつ非常にきびしくて、若かったハリスには、それなりに有益だった。肉体にくわえる懲罰は知られていなかったけれども、なぜか本人の魂を誇り高く立たしめて受け入れさせるような心理的、精神的な矯正法があった。その方法は誤ちのよってきたる根本をついて、おまえの性格はこれで清められ強められるのであり、単に個人的報復の意味で痛めつけられているのではない、と少年に教えるものだった。
 それは、彼が夢みがちな感じやすい十五歳の少年だった三十年以上も昔のことだった。今こうして汽車が曲りくねった峡谷をのろのろと登る間、心の中でその歳月をいつくしみながら遡ってゆくと、忘れていたこまかい思い出が、影の中から目の前へ生き生きと立ちもどってきた。あすこでの生活は非常にすばらしかった、と彼には思われた。あの人里はなれた山の中の村では、ヨーロッパの各国から集まった数百名の少年たちに奉仕する献身的な友愛会の愛と信仰によって、生活は俗世間の騒がしさから守られていた。と、だしぬけに、さまざまな情景が記憶にまいもどってきた。彼は長い石の廊下の匂いと、松材で造った暑い部屋の匂いをかいだ。その部屋では、太陽の光りをあびてぶんぶん唸る蜜蜂の音を開かれた窓から聞きながら、焼けるように暑い夏の数時間を勉強についやしたものだった。そして、英国の緑の芝生を夢みながら、難しいドイツ文学にとりくんでいると――とつぜん、教師の怖ろしいドイツ語の叫び声が――
「ハリス立ちなさい! お前は居眠りをしている!」
 そして彼は、本を片手に持って一時…

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