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牛舎の日記
ぎゅうしゃのにっき
作品ID59060
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「左千夫全集 第二卷」 岩波書店
1976(昭和51)年11月25日
初出「ほとゝぎす 第四卷第五號」1901(明治34)年2月28日
入力者高瀬竜一
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-08-18 / 2018-07-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一月十日 午前運動の為め亀井戸までゆき。やや十二時すぐる頃帰て来ると。妻はあわてて予を迎え。今少し前に巡査がきまして牛舎を見廻りました。虎毛が少し涎をたらしていました故鵞口瘡かも知れぬと申して。男共に鼻をとらして口中をよおく見ました。どうも判然はわからぬけれど念のため獣医を呼んで一応見せるがよかろうと申して。今帰ったばかりです どうしましょうと云う。予はすぐ其の足で牛舎へはいって虎毛を見た。異状は少しもない。老牛で歯が稍鈍くなっているから。はみかえしをやる度自然涎を出すのである。此牛はきょうにかぎらずいつでもはみかえしをやる度に涎を出すのはきまって居るのだ。それと角へかけて結びつけたなわの節が。ちょうど右の眼にさわるようになっていたので涙を流していた。巡査先生之を見て怪んだのである。獣医を呼ぶまでもなしと予が云うたので。家内安心した
十一日 午後二時頃深谷きたる。当区内の鵞口瘡は此六日を以て悉皆主治したとの話をした
十二日 午前警視庁の巡回獣医来る 健康診断のためである。例の如く消毒衣に服を着かえて。くつを下駄にはきかえて牛舎を見廻った。予は獣医に府下鵞口瘡の模様を問うた。本月二日以来新患の届出でがないから。もう心配なことはなかろうとの獣医の答であった
十三日 午前二時朝乳を搾るべき時間であるから。妻は男共をおこしに往った。牛舎で常と変った叫ごえがする。どれか子をうみやがったなと思うていると。果して妻は糟毛がお産をしました。親の乳も余りはりません 犢も小さい。月が少し早いようですと報告した。予も起きて往て見ると母牛のうしろ一間許はなれて。ばり板の上に犢はすわっていて耳をふっていた。背のあたりに白斑二つ三つある赤毛のめす子である。母牛はしきりにふりかえって犢の方を見ては鳴ている。八ヶ月位であろう どうか育ちそうでもあるから。急に男共に手当をさして。まず例に依って暖かい味噌湯を母牛に飲ませ。寝わらを充分に敷せ犢を母牛の前へ持来らしめた。とりあえず母牛の乳を搾りとって。フラソコ瓶で犢に乳を飲せようとしたけれど。どうしても犢は乳を飲まない。よくよく見ると余程衰弱して居る。月たらずであるのに生れて二三時間手当なしであった故。寒気のためによわったのであろうと思われた。それから一時間半ばかりたって遂に絶命した。予は猶母牛の注意を男共に示して置て寝てしまった
夜明けて後男共は今暁の死犢を食料にせんことを請求してきた。全く或る故障より起った早産で母牛も壮健であるのだから食うても少しも差支はない。空しく埋めてしまうのは惜しいと云う理由であった。女達はしきりに気もちわるがってよせよせと云う。予は勿論有毒なものではあるまいから喰いたいならそちらへ持て往て喰えと命じた。やがて男共は料理して盛にやったらしかった。なかなかうまいです少々如何ですかと云って。一椀を予の所へ持て来たけれども。…

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