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滝しぶき
たきしぶき
作品ID59077
著者吉野 秀雄
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆18 夏」 作品社
1984(昭和59)年4月25日
初出「逓信協会雑誌」1963(昭和38)年8月号
入力者合田いぶき
校正者kompass
公開 / 更新2021-07-13 / 2021-06-28
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 病臥して二度目の夏を迎えた。容態はだいぶいいが、両足のリューマチで動けぬせいか、暑さは人一倍つらい。何か涼しいものはないかと考えていたら、富士の白糸ノ滝が目に浮かんできた。
 二年前の夏、ある俳誌の同人二十数人の団体に飛入りして、駿河の猪之頭へいった。富士の雪解の地下水がその西麓のここに四十何ヵ所も湧き出すのを利用して、十万平方メートルの県営養鱒場ができている。一行は両兜合掌造りの田舎家に泊り、鱒料理を賞味した。
 その翌日は前の日の雨催いとはうって変わった快晴、富士ノ宮へ引返すバスを途中で降りて、白糸ノ滝に遊んだ。茶屋の二階にビールを飲み丼を食べながら、斜めに下を見ると、別の茶屋の入口のガラス戸に、滝がそのまま写っている。間断なく落下する水は、時に逆さに立昇るかとも疑われる。本物からかなり離れているので、音響は割合しずかで、いかにも涼しく感じられる。やがてめいめい滝へ向って谿間を散歩した。きのうの猪之頭の湧泉が芝川となり、高さはやっと三十メートルかもしれぬが、幅は百五十メートル位にわたって、玉のすだれをかかげている。滝の上の夏木立の色がまたすばらしく、そのあたりにつぎつぎと虹が生れる。わたしは滝しぶきに濡れながら、古い山伏供養碑の文字を判読したり、紫華鬘の花株を握ったりしたあと、滝壺に接近して佇んだが、もうもうとけむる水煙のなかに、大きな一本の生まの流木が根を上にひっくりかえり、その全身の青葉をはげしく揺りうごかしているのが認められた。
 病人のわたしに、もう二度と滝しぶきを浴びる機会はあるまい。そう思うと、こんな些細なことがひどく貴重になってくる。丈夫な頃は贅沢すぎて、事物のねうちがわからなかったのだともいえようか。



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