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連翹の花
れんぎょうのはな
著者新村 出
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆3 三月の花」 作品社
1999(平成11)年2月10日
初出「街道」1941(昭和16)年5月号
入力者岡村和彦
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-10-04 / 2019-09-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私のすきな春の花に連翹の花がある。白井さんの『植物渡来考』には、支那からの渡来としてあり、『延喜式』にあちこち諸国から産出したのを朝廷に貢献したことが記るされてゐるのは、薬園に培養したものであつて、それぞれの国土の自生ではあるまいとのことである。然し奈良朝の『出雲風土記』をみると、意宇郡と秋鹿郡との産物として、「凡そ諸山野所在草木」として、その中に此のイタチグサと訓してある所の連翹の名をあげてあるから、必ずしも中古の舶来とも限るわけにはゆくまいと思ふ。『万葉』にも『古今』にも出てこないには来ないけれども、大陸伝来の植物と断じてしまふのは惜しいやうな気がする。尤も白井さんは、最後の名著たる『樹木和名考』の方には、「一種ヤマトレンギョウと呼ぶもの中国に於て発見せられたり」と報じてをられたから、『出雲風土記』の記録と照らしあはせて更に考究する必要があらう。古名としては、『新撰字鏡』には、アハクサ、イタチハゼ、『本草和名』と『和名抄』とには、イタチハゼ一名イタチグサとある。いづれも感賞植物として扱はれたのではなく、むろん薬用植物として登録されたのである。
 名称の詮索は、私の悪癖で、ついうかうかと出て申訳がない。後世は専らレンギョウと字音語にばかり呼ぶが、折々はイタチハゼの古名を拾ひあげた雅人がないではない。最近誦んだ秋桜子の句に、

篠党の末百姓やいたちはぜ

といふのを見た。これは古く太祇の「連翹や黄母衣の衆の屋敷町」といふ名句をおもひおこされる。近世の俳句にはおもしろい連翹の句が頗る多いが、省くことにしよう。
 イタチハゼといふ名なども、元来何となく俳趣を帯びてゐるが、蔓生のにはタニワタシといふのもあり、又シダレレンギョウなど呼ばれるのもある。とかく名に興ずる私としては、かういふ低回趣味に堕して困る。
 感賞植物として、いつの時代から連翹がもてはやされるやうになつたか。一条兼良公の『尺素往来』のうちに庭園植物の花木を列挙した条には、春の部などにもそれが出て来ないが、江戸時代になつてからは、連翹を生花にしたことは盛んであつた。茶室にも用ゐたことは、近衛豫楽院の『槐記』をみてもすぐわかる。
 歌に詠んだのは、俳句より遥かにおくれて、或は明治も末季あたりからではあるまいかとさへ思はれる。俳句に詠まれたのは元禄期であるが、太祇のころの天明時代の詩僧六如上人の『葛原詩話』をみると、「連翹花極めて愛す可きものにて目前の花なれども題詠にも及ばず、この花の不幸と謂ふべし」と云ひ、支那の詩人の詩句を抄し、且つそれらの事を同代の詩僧大典禅師に語つた所が、大典から其の花の詩を贈つてよこしたといふ一雅話が載つてゐる。その詩には、長い序詩が添はつてゐるが、それに由ると、誓願寺の後ろの一院に連翹があつて、「松に仗つて上に聳ゆること数尋、花を著けて四方に垂下して簇々たり、偶々その門を過ぎ…

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