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蕗の薹
ふきのとう
作品ID59081
著者新村 出
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆3 三月の花」 作品社
1999(平成11)年2月10日
初出「月明」1939(昭和14)年4月号
入力者岡村和彦
校正者noriko saito
公開 / 更新2020-08-17 / 2020-07-27
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 十数年このかた冬から春へかけて蕗の薹を嗜食するやうになつたが、もとは確か咳嗽の薬だとか云つて亡き母がどこからか貰つて来たのを、塩からく烹させて食べたのから始まつたと思つてゐる。
 少年のとき、朝のおつけに、あれを刻み込んで父がさもうまさうに味つてゐたのを、それこそ苦々しさうに眺めてゐたことも覚えてゐる。
 近年は毎季しばしばそれを賞美して独り悦に入つて、時には『猿蓑』の連句に、芭蕉が、

蕗の芽とりに行燈ゆりけす

と附けたのを想起して、集をひもといて、去来が、それに、

道心のおこりは花のつぼむ時

と承けたのを見て、うたゝ自分の老境を嘆ずるばかりである。
 去年の三月の末には、珍しくも東京からの帰途に夜行の汽車をとつて、早朝美濃路にさしかゝつて、不破の関近きトンネルを抜けた刹那、土手の斜面に、まだもえはじめぬ野草の裡から蕗の薹が一面にはえてゐたのを見つけて、露けき朝まだきの新鮮さを感賞したことがあつた。当日の日記に、「三月三十日、晴れ、美濃路に入りてより車窓外をみる、藤川はすでに過ぎてトンネルに入るころなり、トンネルを出でて左かはの土手に蕗の薹のむらだち眼に入る、緑いろに白き芽のもえたちなり、桃いろの低き草花は何ならん(後註云、これは猩々袴なるべし、四月七日)、ハンの木かクヌギかもえいでんとせる雑木の芽ぶき、ぼうッとしてうつくし、欅の遠見もよろし、白梅なほさかりなり、連翹も遠方に見ゆ」。
 今年は季候やゝ遅れたか、三月末の東行には蕗の芽も眼に入らなかつたが、四月五日の上京のときには、柏原あたりから関ヶ原辺までの間、土手のわきにも、田圃にも、川添ひにも、あの白緑いろの薹が、あれあすこにもこゝにもといふ按配に夥しく散見して眼をたのしませたのであつた。携提して来た『七部集』には、蕗が五句ほどあることを数へ得て、更に感興を加へたが『続猿蓑』にも、

踏みまたぐ土堤の切目や蕗の薹

の野趣のほかに、

投入や梅の相手は蕗のたう

などといふ活花の句もあつて、成程お花の方でも持てはやされるのだな、と今さら気もついたのであつた。
 二月号の「月明」の裏表紙にフキノトウの絵のあつた所から、それを書かう書かうと思ひつゝ、少し薹が立ちすぎた嫌もあるが、在京中、きのふ鎌倉の浄智寺で、そのツクダニを食べた感興によびさまされて、遂に一筆することになつた。



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