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火の点いた煙草
ひのついたたばこ
作品ID59147
副題一名――煙草蒐集家の奇禍
いちめい――たばこしゅうしゅうかのきか
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 横光利一全集 第二卷」 河出書房新社
1981(昭和56)年8月31日
初出「婦人公論 第十二年第四號」1927(昭和2)年4月1日
入力者悠歩
校正者mitocho
公開 / 更新2018-12-30 / 2018-11-24
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼は恋愛を軽蔑した。彼は煙草を愛した。それ故彼は、愛の話を始められると、横を向いて彼の愛するモン・レツポを燻らせた。煙りの中から、恋愛の生れたためしは滅多にない。さうして、彼と彼女との恋愛も、たうとう一服の煙草のやうに楽しげに消えて了つた。
「さやうなら。」
「さやうなら。」
 後には、彼の煙りだけが一場の事件を煙りとして、気軽にふはふは立ち昇つただけである。――モン・レツポ、ダ・カツポ――
 さう云ふ或る日、彼は突然、彼女に代つて来たかのやうな、見知らぬ薄桃色の匂やかな一通の手紙を山国から受けとつた。中には、ただ彼に逢ひたいと傍目も振らずに書いてあつただけである。
「ふむ、これも桃色だ。」彼はそのまま、まるで黒色の封筒でも捜すやうに、旅に出ていつた。
 一ヶ月ほどして、彼がぶらりと帰つて来ると、また薄桃色は緑になつて、八通ほど机の上にたまつてゐた。
「しかし、これは、まことに華やかだ。」
 彼は色紙細工の家を建てるつもりで、机の上へ封筒を並べてから、一つづつ封を切つた。
 しかし、彼は読み行く中に、いつのまにかモン・レツポに火の消えてゐるのを忘れてゐた。
 一体此の女性はどうしたと云ふのだらう。前後八通の手紙に対して、一通の返事さへ与へない冷淡な男に、何ぜこれほどの怒りもなく、綿々として淑やかな手紙が書き得るのか。彼は俄に、自分の傲慢さに一鞭あてて煙草を吸つた。
 それにしても此の女性は、その文面に現れた淑やかさと、これはまた全然別に、いつまでも見知らぬ男に手紙を書き続ける大胆不敵な能力とを持ち合せてゐる所から押して見ると、その桃色の封筒は、あながちただの桃色ではなく、何か意想外の火の車でも吐き出して来さうに思はれてならなかつた。――モン・レツポ、ダ・カツポ――
 と、不意に八通目の緑色の封筒の中から、彼女が上京して来たと云ふ文面が飛び出て来た。
「これは早いスピードだ。もう始つてゐるではないか。よし、ではひとつ、逢つて煙草の煙りで燻べてみよう。」
 彼は直ぐ、煙草を下に置くと、
「お出下さるならば、」と冒頭を書き出した。
 彼は彼女を汚い女性だとは思へなかつた。もしも彼女が美しくないならば、かやうに度々、大胆不敵な桃色の封筒を、出し得る筈がなかつたからである。彼は女の美しさを防ぐやうに、愛する数々の煙草の箱を身近かに寄せて眺め出した。Russensorte, Mikruli, Mon Repos, Melachrino

 その翌日、彼は彼女から電話を受けた。明日の正午に来ると云ふ。彼は電話室から出て来ると立ち停つた。彼は彼女から貰つた八通の手紙を、一時に頭の中で咲かしてみた。――彼女は此の都会で学生生活をした筈だ。彼女は彼の書き物を八年間読み通して来たと云ふ。してみると、彼は八年の間、無意識に彼女を自分の個性の中へどこかで近かよせてゐたのにちがひない…

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