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雨を降らす話
あめをふらすはなし
作品ID59187
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-12-05 / 2020-11-27
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人間の力で雨を降らそうという願望は、昔からどの国にもあった。いろいろな祈祷や、雨乞いの歌の話などは、その一つのあらわれである。
 そういう話は別として、科学の力で雨を降らそうという企ても、もうずいぶん前から、いろいろ試みられている。それが最近になって、遂に成功したというニュースが、この頃アメリカから伝えられて来た。リーダーズ・ダイジェストなどにも紹介され、日本でも大分注目をひいている話である。もっともこの話は、いつでも好きな時に雨を降らせるというのではない。大気中に水分が充分あるのに、雨が降らない場合に、人工で降雨を発生させるというのである。
 それではつまらないと思われるかもしれないが、それが実はたいしたことなのである。というのは、大気中には、たいていの場合、水分はかなりたくさんあるからである。よく晴れた日でも、空に全然雲がないという日は、日本などでは、一年に数日しかない。空には雲があるのが当り前と、誰でも思っている。雲はもちろん非常に小さい水滴の集りであるから、水分は充分にあるわけである。
 ところで雲も雨も水滴であるのに、雨ならば降るが、雲は降らないという理由は、極めて簡単である。雲も降るのであるが、その落下速度があまり小さいので、浮いているように見えるだけである。それならば、充分な時間をかければ、雲もやがて地上に届くはずであるが、実際は途中で蒸発してしまうので、水としては地面に達しない。
 雲は直径百分の一ミリ程度の微水滴である。こういう小さい水滴が、何らかの経路で大きくなって、直径半ミリとか一、二ミリとかの水滴になれば、雨となって降って来る。それで人工で雨を降らす術は、結局雲粒をいかにして成長せしめるかという点に帰する。それならば、天然に雨滴が出来る経路を研究して、その機構を人工的に加速してやればよいということになる。
 ところが、この天然に雨滴が出来る機構がまだよくわかっていない。これくらい科学が発達したのに、「どうして雨が降るのか」という小学生の質問に、世界中の気象学者と物理学者とが、総がかりでも答えられないというのは、極めて奇妙な話であるが、実際のところ、まだよくわかっていないのだから仕方がない。地面から水蒸気が蒸発して、上空に上って行く。上空はいつでも寒いから、その水蒸気は、何か芯になるものに凝縮して雨になる。というふうに、一般にはいわれている。そして教科書などにも、そのようによく書いてある。しかしこれは間違いであって、この経過で出来るものは、雲である。即ち直径百分の一ミリ程度の微水滴が、このようにして出来る。ところがこの微水滴が、さらにどういうふうに成長して、雨滴になるかは、まだわかっていない。
 微水滴が、そのままだんだん成長して、大粒の水滴になれば、一番話は簡単であるが、そういうことは起り得ないということが物理学の方でわかっている。…

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