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抗議する義務
こうぎするぎむ
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-03-16 / 2020-02-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。それは「日本人はどうも抗議する義務を知らないから困る」というのである。
 これはなかなか味のある言葉で、何か不正なことがあった場合に、それに抗議を申し込むのは、権利ではなくて義務だというのである。
 例えば、電車に乗る場合に、乗客が長い列を作って待っている。やっと電車が来て、乗客が順々に乗り込む。その時脇からうまくその列に割り込んで、電車に乗ってしまう人がよくある。そういう時に、特に婦人の場合などには、自分の前に脇から一人くらい割り込んで来ても、一寸いやな顔をするくらいで、そのまま黙ってその人について乗ってしまうことがよくある。
 この場合、その人はもちろん「横から割り込んではいけません」と抗議を言うべきなのである。それを、ずるずるに黙許してしまうことは、一つの道徳的な罪悪であることを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、無闇とやかましく言うことを、何となくはしたないように考えるのは、大変な間違いなのである。これははしたあるとかないとかいう問題ではない。実は非常に利己的な考え方が、その人の心の底に意識されないで潜んでいるのであって、その点によく注意しなければならない。
 というのは、脇から誰かが割り込んで来ても黙許してしまう場合は、自分もその人について電車に乗り込めることが明白な場合に限るからである。もしその人が乗ったら自分が乗れなくなる場合だったら、恐らく抗議を申し込むにちがいない。それをずるずるに黙許するのは、被害が自分に及ばないからである。しかしその被害は誰かには及ぶのであって、一人くらいといっても、そのために最後に誰か一人は取残される組にはいって、また次の電車まで長い間待たなければならない。
 それでこの場合、抗議をすることは、立派な義務なのである。正直に公衆道徳を守って、列の最後の方についている未知の一人の友人のために、抗議をする義務がある。きまりが悪いということは、たしかにあるが、それくらいのことは押し切って、遂行すべき義務なのである。少し意地悪くいえば、被害が自分に及ばない場合には、きまりが悪いというくらいのことと、正直な人を助ける義務とを、無意識的にバランスにかけて、前者をとっているのである。この頃「正直者が損をする政治はいけない」ということがよくいわれるが、そういうことを立派にいえる人は、案外少ないのではないかと思われる。
 それに自分がよくないと考えた場合に、抗議を申し込むことは、何も悪いことでもなく、生意気なことでもない。極めて当然なことである。列の中に割り込むというような、明白に悪いことに対してはもちろんのこと、それほどはっきりしていない場合にも、自分で正当と考えた抗議は、平気ですればよいのである。もし先方にも理窟があったら、その釈明をするだろうし、それが納得出来たら、さっさと…

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