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神仙道と科学
しんせんどうとかがく
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-07-29 / 2020-06-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 前著『日本のこころ』の中に、露伴先生の『仙書参同契』の解説をした文章を載せておいた。その中で、古代東洋の神仙思想の精髄は、現代の科学と矛盾するものではなく、むしろ啓示を与えることも有り得るだろうという意味のことを書いた。
 その一つの例として、デデキントの連続の理論と、魏伯陽の神仙道とを、比較してみよう。現代の物理学はもちろん哲学までも、近代数学におぶさっているところが、非常に多い。その近代数学の最大の課題の一つは、連続の問題であった。ツェノンの逆理以来、この連続の問題が、少し大袈裟にいえば、近代数学における最大の課題であった。
 初等幾何学を習った人は、点が大きさの無いものであり、線は幅をもたないものであることを知っている。そして線は点が「連続的」に動いたあとであることも、一応承知している。しかしこの「連続」の問題は、少し深く考えてみると、非常にむつかしい問題なのである。もっともこれは専門外のことであって、仰々しく述べ立てる資格は全くないのであるが、幸い手近なところに非常にいい本がある。それは吉田(洋一)さんの『零の発見』である。十数年前に岩波新書の一冊として出版された時は、小冊子ながら天下の名著といわれた本であって、今日までも生命のある好著である。
 この『零の発見』は二部に分れていて、その後半「直線を切る」が、即ち連続の問題を、非常に平易にしかも厳密に取り扱ったものなのである。『零の発見』を読まれた方には用のない話であるが、数学に全然無縁の方たちのために、一寸その一部を紹介することにしよう。
 今一本の直線をとってみると、これはずっとつながっているので、直線を連続の代表としてみることには、まず異論がないとする。この直線が二本交わったところは点であるから、直線が点から構成されていることもまず認めざるを得ない。そうすると、大きさのない点がどういうふうに並べられると、連続した線になるかという問題が出て来る。もちろん大きさのないものが集まるのだから、無限個集まる必要があるが、この無限という言葉が曲者なのである。
 今一本の直線をとって、その上の一点を0と名づけ、右の方へたとえば一センチごとに点をとって、それらの点を1、2、3、……と名づける。この1、2、3、……のような数を整数ということは、中学で習われたとおりである。これ等の点及び以下点というのは、全部大きさのない点で、ただ数値に対する場所だけを示すものである。そうすると、2[#挿絵]という点は、2の点と3の点との中間にある。次に2[#挿絵]という点は、2と2[#挿絵]との間にあることはもちろんである。更に2[#挿絵]の点は、2と2[#挿絵]との間にある。分母が大きくなるのであるから、だんだん2の方へ寄って来ることになる。こういうふうにして、どんどん分母の数を増して行くと、2よりは大きいが、いくらでも2に近…

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