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硯と墨
すずりとすみ
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
初出「座右宝」1946(昭和21)年12月
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-06-12 / 2020-05-27
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 東洋の書画における墨は、文房四宝の中でも特別な地位を占めていて、古来文人墨客という言葉があるくらいである。従って墨に関する文献は、支那には随分沢山あるらしく、また日本にも相当あるようである。しかしそのうちには、科学的な研究というものは殆んど無い。或いは絶無と言っていいかもしれない。それは東洋には、昔は科学が無かったのであるから致し方のないことである。
 墨と硯の科学的研究は、私の知っている限りでは、寺田寅彦先生の研究があるだけのようである。飯島茂氏の『硯墨新語』なども墨の科学的研究と言われているが、この方は方向は一部科学的研究に向いており、面白いところもあるが、まず文献的の研究というべきであろう。
 寺田先生は晩年に理化学研究所で、墨と硯の物理的研究に着手され、墨を炭素の膠質と見る立場から実験を進め、最後の病床に就かれるまで続けておられた。研究の内容は三部から成っている。第一は墨流しの研究であって、これは我が国に古来からある墨流しを、物理的に研究されたものである。第二は墨と硯の物理的研究であって、硯の性質と、特に墨を磨るという現象が物理的に言って何を意味するか、その機構を研究されたものである。第三は墨汁の電気泳動の実験であって、墨の粒子の電気的性質を調べられたものである。この最後の研究は未完成であって、その予報が帝国学士院記事に出ただけで、本論文は未発表のままに終っている。初めの二つは完成された論文として、理化学研究所の欧文報告に出ている。三論文とも英文で発表されている。
 この初めの二つの論文は、前にその紹介をしたことがあって『画説』という雑誌に発表した。もう十年近くも昔の話である。その初めの方『墨流しの物理的研究』は、北京図書館の雑誌『舘刊』第三号に、漢訳されて載ったことがある。丁度その号には、銭稻孫氏による志賀さんの『転生』の和漢対訳も載っていた。『転生』は私の好きな作品だったので、その奇遇を一寸嬉しく思った。何だか偶然に志賀さんと支那で思いがけなく逢ったような気がした。
 ところでこの墨流しの研究は、結局水面に出来る墨の薄い膜の性質を調べたものである。限外顕微鏡という特殊の顕微鏡で見ると、墨汁の微水滴の中にある墨の粒子の数を算えることが出来る。墨汁の濃度を量的に測り、その微水滴中の墨の量を計算すれば、比重とその顕微鏡で読んだ粒子の数とから、墨の粒子の平均体積が出せる。そして粒子を球形と仮定すると、その直径が計算出来る。奈良古梅園の紅花墨を市販の硯で磨った一例では、粒子の平均直径が約一万分の一ミリであった。もっとも粒子には大小いろいろあるので、まず千分の一ミリくらいの大きい粒子から、十万分の一ミリくらいの極微のものまで、さまざまの大きさのものがあり、その平均が約一万分の一ミリなのである。
 次に水面に拡がった墨膜の構造であるが、この方は濃度のわかって…

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