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泥炭地双話
でいたんちそうわ
作品ID59200
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
初出美しき泥炭地「科学と芸術」1946(昭和21)年3月<br>泥炭地の物理「農業朝日」1946(昭和21)年3月
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-08-12 / 2020-07-27
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

美しき泥炭地

 北海道の景色の美しさの中で、比較的看逃されているのは、泥炭地の景色の美しさである。特に私は、晩秋の泥炭地の風趣とその色彩とに心を惹かれる。
 冬を間近にひかえて、北国の空は毎日のように、鼠色の厚い層雲に蔽われる。そしてそういう空の下では、よく地平線の近くだけが綺麗に晴れていることが多い。そういう時には、その晴れ間は大抵は薄青磁色に冷たく透明に光っている。荒漠たる泥炭地の地平線は、水平な一線となって、この光った空の下をくっきりと区切っている。
 みずごけや背の低い雑草で蔽われた一望の草原は、よしやすげの叢がせめてもの風情である。稀に痩せたはんの木が二本三本ようやくに生い立っていることもあるが、それらはむしろ心を痛ましめる点景である。夏の間じめじめと足を濡らしていたこの湿地帯も、秋の水枯れとともに、すっかり乾いて来ている。足を踏み入れてみると、軟かい蒲団の上を歩くように、土地が一足ごとに浮き沈みする感じである。
 晩秋のこの草原の美しさは、そういう感触よりも、むしろその色にある。よしもすげももう半ば枯れて、その生命のしるしである緑の色は、土黄色の枯葉の底に、かすかに残っているに過ぎない。その土黄色にも沢山の白が雑っている。この白の勝った土黄色と、名も無い雑草どもの茶色との混淆が、晩秋の泥炭地帯の草原を特徴づける基調の色である。眼に立つ色ではないが、人の心を惹く美しさである。それは手近に譬えるものがない独特の色彩であって、正倉院に秘められている纐纈染の色くらいが、これに比さるべきものであろう。
 こういう色彩が、強く人の心を惹くのは、それがこの北国の冬をひかえた空の特殊の光と、よく調和しているためかもしれない。しかしそれよりも、もっと人間の生命に直接関係した理由があるのであろう。それは土地の乾く喜びとでも言うべきものが、蔭の深いところで働いているためではなかろうか。
 雪国の遅い春を待ち佗びる人々にのみ、春先の道の白く乾く歓びが感ぜられるものならば、夏の間中一足ごとにその足跡に水の浸み出る土地が、ふかふかと乾いて来る歓びが、晩秋の泥炭地帯の美の一つの根源をなしているのかもしれない。雪国の道が白く乾く晩春は、間もなく陽光が燦々と若葉の上に降る北国の初夏につづく。しかしようやくにして水の引いた泥炭地帯の晩秋は、この地方に特有な烈しい吹雪をすぐ間近に待つばかりである。それなればこそ、単調な土黄色の一色の景色の中に、千年秘められた織物の色の静まり返る美しさを見るのであろう。
 みずごけや雑草はもとより、よしもすげも間もなく枯れて、雪の下に埋れてしまう運命にある。六カ月の冬が過ぎて、春の陽が再び戻って来ても、気温の低いこの北の国では、それらの枯草の遺骸は腐ることもなく、冷たい水の中で次ぎ次ぎと重なって行く。そして人間の生涯などとは較べられない長い年月のうち…

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