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琵琶湖の水
びわこのみず
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
初出「文藝春秋」1947(昭和22)年5月
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2019-07-01 / 2019-06-28
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 初めから汚い話で恐縮であるが、琵琶湖へ小便をしたら、水嵩はどれだけ変るかという問題がある。
 これは一寸面白い問題であって、日本の政治家ならば、大抵の人は「どれだけかというくわしいことは技術者に計算させればすぐわかるが、とにかく極めて少量ではあるが、小便の分量だけは水嵩が増す」と答えるであろう。如何にもそのとおりのように聞える。しかしこれが一番の愚答なのである。
 琵琶湖の面積は六七〇平方キロ余りある。一回の小便の量を計算に便利のために、約六七〇立方センチとする。少しくらいこれより多くても少なくても、結論にはかわりはない。これだけの水量が加わるとすると、六七〇立方センチを六七〇平方キロで割った数だけ水嵩が増すことになる。それならば「極めて少量ではあるが幾分は水嵩が増す」という答でいいではないか、ということになりそうである。しかしそう簡単には言えないので、こういう場合に、何か返答をしようと思ったら、割算をやってみなければならない。
 その割算は極めて簡単である。

[#挿絵]

 最初の零を入れて、零が十二つく。これを便宜上1×10−12メートルと書く。センチに直すと1×10−10センチとなる。言葉でいえば百億分の一センチである。「一センチの百億分の一だけ水嵩が増す」という答が馬鹿げていることは、誰にもすぐわかるであろう。そういう極微の量はどうにでもなるものであって、例えば湖面からの蒸発量などにくらべても、問題にならない量である。
 蒸発量は天候によって広い範囲に変ることはもちろんである。大ざっぱにみて、毎日の気象台で測られている蒸発量の平均を、一ミリ余りとみる。湖面からの蒸発は、陸上で蒸発計で測られる値の八割くらいとみられるので、話を簡単にするために、一日に一ミリ蒸発するとする。これは非常に少なくみての話である。しかし僅か一日一ミリの蒸発でも、さっきの百億分の一センチとはひどいちがいである。小便をするには、時間がかかる。それを三十秒かかったとすると、その三十秒間の蒸発量は
[#挿絵]
 3×10−5センチ、即ち十万分の三センチである。これを前の百億分の一センチとくらべてみると、約三十万倍に当る。小便で増す水嵩よりも、蒸発で減る水嵩が三十万倍も大きいとすると、「極めて少量ではあるが、いくらかは増す」という答がまちがっていることは明らかである。
 しかしこういう抗議が出るかもしれない。蒸発はどうせあるのだから、蒸発で減る分量の極く一部が小便で補われて、「幾分かは減り方が少なくなる。それがいくらかは増すという意味である」という議論である。しかしそれも困るのであって、今言った蒸発量は平均の値である。本当の蒸発量は、気温、風、湿度、日射などによって著しく変化する。その時その時の気象条件によって、一万倍から百万倍くらいの間に変化するので、その平均が大体三十万倍くらいに…

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