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雪三題
ゆきさんだい
作品ID59206
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2019-07-04 / 2019-06-28
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 初雪

 今年は初雪が例年よりも二日早かった。
 秋の天気工合がよかったせいか、円山の原始林の黄葉がまだ八分どおり残っているのに、朝学校へ出がけに、ぱらぱらと霰まじりに初雪が降った。外套の袖に受けてみると、雲粒のついた無定形の雪である。
 昨年の今頃は、終戦後の混乱からまだ抜けきれず、それに食糧の不安も深刻で、初雪を見ても、あまり感慨も湧かなかった。あの頃からみると、ストライキ騒ぎこそあれ、随分落着いた気持になったものである。石炭はどうせ配給は無いものとあきらめているし、活動を見る気は初めからなし、ラジオはストライキで静かになってまことに結構であった。また雪の研究でも始めるには、お誂え向きの世の中になったものである。
 十勝岳の山小屋と大学の低温実験室の中とで、十年あまり続けて来た雪の結晶の研究も、戦争中は、もっと実際的な問題の研究に切り換えねばならなかった。その研究にも面白いところもあったが、何といっても、直接に自然の内奥を窺うような今までの研究の興味には比すべくもなかった。
 今度の戦争を今のような形で生きのびようとは思っていなかったので、ミッドウェーの海戦の直後ころ、今までの十五年間の雪の研究をまとめて、二千枚の顕微鏡写真とともに、岩波書店へ渡しておいた。一冊でもその本が残ればという気持があったことは確かである。
 この大戦争の中で、二千枚の銅版をつくることは無理だろうと内心思っていたのであるが、二年近くかかって、やっとそれが出来上がり、本文も再校まで出た。そこで五月何日かの戦災で、組版も銅版も全部焼けてしまった。しかし二千枚の写真の校正刷が手許に残っていたので、それを製本して、図録だけ一冊作った。そして世界に一冊しか無い本だということにして、珍蔵することにした。さすがに今一度この本を作り直す元気は無かった。
 ところがこの春経済科学部のケリー博士が大学を訪問された時に、その世界に一冊しか無いと自称している本を見せた。そうしたら、これは科学者として出版する義務があると激励された。それでまた勇を鼓して、新しく写真の整理をして、出版することにした。
 私の雪の研究というのは、もともとアメリカのベントレーの『雪の結晶』に刺戟されて始めた仕事である。それが一時は世に出る望みを絶ったところに、また米国の科学者の好意ある激励によって、再び世に出る気運に乗ったわけである。因縁というものは不思議なものである。
 初雪が来れば、あの美しい本格的な結晶が訪れて来る日も、そう遠くはない。あの本を二度作ったことを思えば、世情がこの先どのように苦しくなろうとも、第二段の雪の研究を始めるくらいは何でもない。
 初雪を眺めながら、大いに若返って、子供のような決心をしているところである。

二 雪華追想

 北海道のI市の女学校で講演を頼まれた時に、その後で先生方と座談会のような…

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