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老齢学
ゼロントロジイ
作品ID59208
副題――長生きをする学問の存在――
――ながいきをするがくもんのそんざい――
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-08-12 / 2020-07-27
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 国際雪氷委員会の前会長、チャーチ博士は、三十年以上も、ネバダ大学の教授をつとめ、昨年春引退した。同時に国際雪氷委員会の会長の地位も、スウェーデンのアールマン教授へ譲った。
 チャーチ博士とは、実は十数年前から文通をしていて、一度も会ったことはなかったが、何だか非常に親しい間柄のような気がしていた。いつも親切な手紙をくれ、方々へ私の仕事の紹介をしてくれるので、大いに徳としていたが、ただ一つ気に喰わぬことがあった。それは無闇と私を青年扱いして、「東洋の若いジェネレーション」というような言葉をちょいちょい使う点であった。
 もっともそれはこっちが迂濶だったので、一寸調べればわかることだったのに、チャーチ博士の年齢について、全くの誤算をしていたのである。昨年初めて会って、きいてみたら、八十二歳だという。アメリカ流の八十二歳であるから、前の日本流儀では、八十四歳ということになろう。これでは少しくらい青年扱いをされても、文句はいえないわけである。
 ところで、この誤算の因って来たところは、チャーチ博士のヒマラヤ登山にある。印度の水資源として、ヒマラヤの積雪調査をする必要があり、チャーチ博士がその指導に行ったのは、ごく近年のことである。それから一昨年は、南米のアルゼンチン政府に頼まれ、アンデス山脈の上を縦横に六カ月もとび歩いていたはずである。
 きいてみると、ヒマラヤに登ったのは、八十歳の時であり、アンデスの調査は、八十一歳の夏であったという。これくらい話の桁がはずれていれば、こちらの誤解にも愛嬌が出て来る。御本人は、昨年の春大学から引退をすすめられたのが、大いに不服らしく、「大学は僕を老人扱いしている」と、初対面の日に私に文句をいっていた。
 ところが、上には上がある。チャーチ博士の紹介で、ミシガン大学のホップス先生に会ったら、「僕は八十九歳だ」という。念のために日本流でことわっておくと、九十一歳である。このホップス先生は三十年前に、ミシガン大学がグリーンランドへ探検隊を出した時の隊長である。地質学者であるが、気象学にも興味をもち、グリーンランドの大氷原の上で空気が冷え、その大冷気塊がのび出して来て、世界の気象を支配するという大論文を書いたことがある。
 この大論文は、もちろん現代の気象学者からは、態よく敬遠されている。老先生は、それが大いに御不満であって、「昨年もあの説を少し修正して雑誌に出しておいたのに、誰も何ともいって寄こさない」といっておられた。
 一時間ばかり名誉教授室で話をして、それから昼食の御馳走になった。食事の終り頃になると、先生少しもじもじしていたが、「実は僕は二時の汽車で、ノースペニンシュラへ夏休みに行くことにしているから」と席を立たれた。一緒に玄関まで出ると、「失敬」といいながらタクシーを呼び止めて、さっさと停車場へ行ってしまった。九十一歳という…

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