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ジストマ退治の話
ジストマたいじのはなし
作品ID59212
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日
入力者砂場清隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-09-19 / 2020-08-28
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今まであまり思い出のようなものは書かなかったが、私も今年で一人前の年齢に達したので、これからはあまり遠慮しないで、一つそういう話も書いてみることにする。
 もう十年以上も昔の話であるが、私は妙な難病にかかって、死に損ねたことがある。それが科学の力でけろりと治って、今では少しにくらしいといわれるくらい丈夫になっている。
 科学の力は、科学に縁のない人の方が、余計に信用しているようである。科学を商売にしていると、どうも楽屋裏の方がよく見えて、あまり信用する気にはならなかった。物理学などが、科学の方では一番いい方であるが、それも今度の原子爆弾が本当に出来るまでは、少々多寡をくくっていた。しかし原子爆弾には心底からおどろいたので、今では物理学を大いに尊敬している。
 医学の方も、この頃は、ペニシリンだの、ストレプトマイシンだのというものが出来たので、大分信用を高めて来た。しかし十年前までは、西洋医学の方は、少し難病の患者には、あまり信用がなかったようである。その証拠には、心霊療法のようなものが、東京の真ん中で、立派に大邸宅をかまえて繁昌していた。医者がどんどん病気を治してくれれば、そんなものが跋扈するはずがない。
「人間の身体のように複雑をきわめたものは、浅はかな学問の力などでは、どうにもなりません。医者はただ自然治療をそっと見守ってるだけですよ」などというと、さすが名医だというようなことになる。それほどでなくても、とにかく少し大乗的な話を入れないと、世間はなかなか名医の仲間には入れてくれない。
 そういう工合で、一般には、物理学や化学の方が信用が厚くて、近代医学の方は、少なくもごく近年までは、あまり評判が良くなかった。しかし私は反対に、近代医学の方を、原子爆弾より十年くらいも前から信用して来た。原因は簡単で、自分の病気が医学のおかげで治ったからである。
 話は蘆溝橋事件の前、昭和十一年の昔にかえるが、その年に北海道大学に初めて低温室が出来た。その中で早速雪の結晶の人工製作という、前から目星をつけておいた実験にとりかかった。ところが幸か不幸か、その実験が巧く行って、二カ月も経たぬうちに、最初の人工雪が一つ出来た。
 それで私も助手の人たちも、夢中になってその実験に熱中した。それと運悪く、妻の大病と考古学をやっていた弟の死とがぶつかり、私もすっかり身体を痛めてしまった。四月頃から胃の工合が悪くなり、食後に胃がしねしねと痛んで、ひどく痩せて来た。そしていつでも、胃袋の形とその存在とが自分にもわかって、いやな気持であった。しかしその年の夏には、英国の日食班が北海道へ来たので、その案内役をつとめたり、秋の大演習に、天皇陛下を低温室内にお迎えして、人工雪の実験をお目にかけるという大任があったので、無理を承知の上で、ずっと学校へ出ていた。その間登別温泉の北大分院へも、三週間ば…

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