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実験室の思い出
じっけんしつのおもいで
作品ID59218
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦 わが師の追想」 講談社学術文庫、講談社
2014(平成26)年11月10日
初出「婦人公論」1941(昭和16)年2月1日
入力者砂場清隆
校正者津村田悟
公開 / 更新2022-11-28 / 2022-10-26
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 実験室に於ける寺田先生のことを書こうと思うと、私はすぐ大学の卒業実験をやった狭い実験室のことを思い出す。
 それは化学の新館と呼ばれていた、小さい裸のコンクリートの建物の一階にあった狭い実験室である。震災の翌年のことで、物理の建物が使えなくなったので、化学の新館を借りていたのであった。この実験室の中で、寺田先生の指導の下で卒業実験を始めたのが、正式に先生の下で研究らしいものを始めた最初であった。
 その頃の思い出を書く前に、先生との機縁ということについて考えてみると、私は今更のように、世の中というものは、随分微妙なものだという気がする。今日北海道の一隅で、非常に恵まれた条件の下に、好き勝手な研究を楽しんでいる自分の生活をふり返って見ると、その出発点は、全く寺田先生にある。もし先生を知らなかったら、私は今日とはまるでちがった線の上を歩いていたことであろうと思う。それにつけて私は、生涯の岐路というものは何時もあって、その方向を決める要因が案外些細なものであることが多いのではなかろうかと、この頃時々考えている。というのは、私が寺田先生の学風の下に入った機縁は、全く友人桃谷君の長兄の簡単な言葉にあったのである。
 私たちの大学時代には、東大の物理学科では、学生が三年になると、理論と実験とに分かれて、実験を志望する連中は、各々その指導を願いたい先生の下で、一年間研究実験をして卒業することになっていた。それで二年の三学期になると、誰もが真剣になって、研究実験の選択に頭を悩ますのであった。
 ちょうど私たちが二年生の時に、大地震があった。大学もその災いに遭って、大抵の建物が使えなくなったので、三ヵ月近くも休みになった。そして冬近くになって、やっとバラックの中で講義が始められたような始末であった。この震災で私の家もすっかり焼けてしまった。その天災は私には物質的にも精神的にも著しい打撃であった。それで卒業後は今まで漫然と考えていたところの研究生活というものからすっかり縁を切って、理科系統の会社にでも入って、実際に物を作りそして金もうんと儲けようという決心を一時的にしたことがあった。
 今から考えれば、随分妙な決心をしたものであるが、その時は真面目にそのように考えたのであった。それで三年になってからの研究実験にも、応用物理学の中で近い将来に大発展をするような方面を選ぼうと思った。ちょうどその頃は真空管が我が国でも実用化されかけて来た時であったし、それに桃谷君の親戚に当たる関西のある大会社でも、その方面に力を入れようとしていたので、無線関係の題目を研究実験に選ぶことに一応考えを決めた。
 もっとも寺田先生のことは、冬彦の名を通じてよく知っていたし、時々御宅の方へ遊びにも行っていたので、事情さえ許せば、先生の下で研究実験の指導をうけたいという強い希望が心の底にはあった。しかし先生…

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