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氷島の漁夫
ひょうとうのぎょふ |
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作品ID | 59227 |
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副題 | 02 「氷島の漁夫」について 02 ひょうとうのぎょふについて |
著者 | 吉江 喬松 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「氷島の漁夫」 岩波文庫、岩波書店 1928(昭和3)年9月5日 |
初出 | 「近代西洋文藝叢書第十一冊 氷島の漁夫附埃及行」博文館、1916(大正5)年7月23日 |
入力者 | 富田晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2020-01-14 / 2020-01-08 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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Pierre Loti の本名は、Louis Marie Julien Viaud といつて、生れたのは、佛蘭西の西南サントンヂュ地方の有名な海港、ロシュフォールであつた。
彼には兄と妹とが一人づゝあつた。彼は第三番目で、末子であつた。隨分甘やかされて育てられたらしい。少年時から空想勝ちな兒で、學校の日課の準備をしてゐながら、遠い國々の事や、熱帶地方の光景なぞを胸に浮べて、恍りしてゐた。學校へ行くのもとかく怠け勝ちであつた。
彼の祖先等は船乘りであつた。彼の祖父はトラファルガアの海戰にも出てゐた。彼と海との關係は生前からの宿縁である。幼年時から海は恐れと不思議との感じを彼の心に充たしてゐた。暗碧の色をした果てしない水の廣野、四方から迫るが如く響きを寄せて來る夕方の海を初めて彼が眺めやつた時は、恐れと悲しみと、寂しさと、然かもなほ言ひ難い誘引とを身に感じたのであつた。
寂しさと悲しさと然かもなほ言ひ難き誘引とを起す大洋は、彼にとつては一種不可思議な世界であつた。セルトの種族の前へいつも誘引の魅力を見せる自然は、彼にも同じ力を及ぼさずにはゐなかつた。夢を追ふ心、不思議の國を追求する心、それが彼を驅つて洋上の人とならしめずには置かなかつた。
彼は佛蘭西の海軍へ身を入れて、廿九歳までには世界中を周航した。その時、彼は初めて處女作小説“Azyad[#挿絵]”(千八百七十九年)を公にした。それから「氷島の漁夫」の出づるまでには、左の諸作が引續いて公にせられた。
“Le Mariage de Loti.” (千八百八十年) “Le Roman d'un Spahi.” (千八百八十一年) “Fleurs d'Ennui.” (千八百八十二年) “Rarahu.” (同年) “Mon Fr[#挿絵]re Yves.” (千八百八十三年) “Les trois Dames de Kasbah.” (千八百八十四年) “P[#挿絵]cheurs d'Islande.”(氷島の漁夫) (千八百八十六年)
海といふ不思議な國を追求して海上生活に入つた彼は、茲に初めてエグゾティックな光景と人事との鮮かな世界を、彼の藝術を通じて萬人の前へ提供する事になつた。彼の藝術の最初の出發點は、同じセルトの先人シャトオブリアンの歩みを起したると、同一點である。たゞ後者が所謂「世紀の惱み」に苦しめられ、懷疑と厭世との痛ましい經驗を味はつてゐるのに比して、前者は、眼前の光景の中へ全身を浸し、それに醉ひ、それと共に溶け合つてゐる如き姿を見せてゐる。併し兩者とも我る[#「我る」はママ]目に見えぬ世界を求め、その出現の影をとめて走つてゐる點は全く同じである。たゞ一方がより多く情緒によつてその世界の響きを傳へんとするのに比して、他方が多く官能によつてこの世界の姿…