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生涯の垣根
しょうがいのかきね
作品ID59235
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「もうひとつの話〈ちくま文学の森・別巻〉」 筑摩書房
1989(平成元)年4月29日
初出「新潮」1953(昭和28)年
入力者hitsuji
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-03-26 / 2019-03-01
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 庭というものも、行きつくところに行きつけば、見たいものは整えられた土と垣根だけであった。こんな見方がここ十年ばかり彼の頭を領していた。樹木をすくなく石もすくなく、そしてそこによく人間の手と足によって固められ、すこしの窪みのない、何物もまじらない青みのある土だけが、自然の胸のようにのびのびと横わっている、それが見たいのだ、ほんの少しの傷にも土をあてがって埋め、小砂利や、ささくれを抜いて、彼は庭土をみがいていた、そして百坪のあふるる土のかなたに見るものはただ垣根だけなのだ、垣根が床の間になり掛物になり屏風になる、そこまで展げられた土のうえには何も見えない、彼は土を平手でたたいて見て、ぺたぺたした親しい肉体的な音のするのを愛した。土はしめってはいるが、手の平をよごすようなことはない、そしてこれらの土のどの部分にも、何等かの手入れによって、彼の指さきにふれない土はなかった。土はたたかれ握り返され、あたたかに取り交ぜられて三十年も、彼の手をくぐりぬけて齢を取っていた。人間の手にふれない土はすさんできめが粗いが、人の手にふれるごとに土はきめをこまかくするし、そしてつやをふくんで美しく練れて来るのだ。
 若い女中が彼のことをあんなに家にばかりいて、なにが愉しくて生きているんだろうと、裏庭を掃きながら言っていたが、一人の女中はあれでも何か愉しみがあるのよ、庭でしょうさといって笑った。彼も書斎にいてそれを聞いてひとりで笑った。つまり彼に最後にのこったものはやはり庭だけなのだ、終日掃きながら掃いたあとのうつくしさが見たいばかりに、そのうつくしさに何かを、恐らく一生涯の落ちつく先をちらとでも見たいのだ、ばかばかしい話だが、そんなふうに言うより外はない。一生涯の落ちつく先を土に見たって何になるといえばそれまでだが、掃いたあとを見かえると、いままでにないものが現われている、毎日掃くのだから落葉とかゴミとかいう些細な固形物すら見当らないのに、やはりよごれがあった。その眼にとまらないものを掃き上げると、そこからべつな澄んだ景色が見えて来ていた。彼はその景色が見たいばかりに掃くのだ、いやなことを心にためておくと、どうにも心の置場のないような不愉快を感じるが、それを書いてしまうとさっぱりする、さっぱりした心持で何かをあらたに受けいれようとする構えに、するどい動きとも静観ともいいがたいものがある、あいつだよ、あんなふうなものが掃いたあとの、土の上に見られるのである。いろいろなものに取り憑かれ、さまざまなものに熱中して見たが、行きついて見るとつまり庭だけが眼に見えて来ていた、朝起きてから夕方まで眼の行くところは庭よりほかはない。ある意味でそれは庭であるよりも、一つの空漠たる世界が作り上げられていて、それが彼を呼びつづけているのだとでも、ふざけて言ったら言えるのだろう。
 彼は猫が庭に出ると叱っ…

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