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新帰朝者日記
しんきちょうしゃにっき
作品ID59298
著者永井 荷風
文字遣い旧字旧仮名
底本 「荷風全集第四卷」 岩波書店
1964(昭和39)年8月12日
初出「中央公論 第二十四年第十號」1909(明治42)年10月
入力者きりんの手紙
校正者入江幹夫
公開 / 更新2021-04-30 / 2021-03-27
長さの目安約 74 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

十一月廿八日 あゝ丁度半年目だ。月日のたつのは早い。日本に歸つてからもう半年たつた。また今日も風か。何といふ寒い風だらう。十一月悲しき十一月、冬が來ると世界中何處へ行つても寒い。亞米利加から歐羅巴、地中海から印度洋を旅して來た經驗から考へても、要するに神の作つた地球上の天候は至る處人類の生活に適して居ない事が分る。暑くもなく寒くもなく、人間をして他の動物と同じやうに青草の上に横はつて心持よく青空を眺めさせるやうな時節は、春の末から夏の初めにかけてほんの一箇月ほどしかない。火を焚いたり衣服を着たりして、永世自然の迫害と戰つてゐる人間に向つて、神に謝せよ、神の光榮を歌へなどと、西洋人は實に妙な宗教を信じたものだ。
 鐵と石ばかりの紐育に居た時分、炎暑の爲めには幾人も人死があるやうな恐しい日には、自分はよく青々した日本の海邊を思出したが、いざ日本に歸つて此樣寒い風に吹かれると又反對に、日夜絶えず蒸氣で暖めた外國の居室の心持を思ひ返さずには居られない。衣服改良、家屋改良、何でも改良呼ばゝりの空しい聲も、もう久しいものだ。事實に於て日本人は何時まで、此の不完全な住居を永續させるつもりであらう。外を吹く寒風は疊のすき間、障子の隙間到る處から這入つて來る。其れをば火鉢の炭火一ツで凌がうと云ふ。讀書も思索も快樂も、又事業の活動も出來たものぢやない。私は椰子の葉蔭の庵室に裸體の儘胡坐してゐた印度の僧を今もつて忘れない。彼の僧は春が來れば茫然として開いて散る花を眺め、夏が來れば烈しい日光に眼を閉ぢ、冬が來れば暖爐の傍から暗い日の過ぎ行くのを悲し氣に見送るのであらう。此れが固有なる東洋的生活の本質であつたのだ。いや、自分が日本に歸つて來て新しく感ずるのは、この東洋的と云ふ目に見えない空氣ばかりである。宇宙百般の現象は果して偶發したものか否かは暫く論じまい。よし偶發したものにもせよ、其れが發展永續する状態を考へると、必ず此處に何かの理由がなくてはならぬ。日本は賢明なる維新の改革者の志に基き、日一日と歐洲に見る如き近代的の生活を營まうとして居る。然し諸行無常の鐘の音が今もつて聞える東洋の土上に、それは果して最後の勝利を占むべき性質を有して居るであらうか。サハラの沙漠に稻の田を作らうと企てたものは一人もない。自分は日比谷に立つて居る帝國議會を目に見ても、日本の社會が過去幾世紀の間政治的變革を經來つた西洋現代の通りになつたとはどうしても思ふ事が出來ない。

十一月二十九日 父はもう悉皆健康になつた。相模灣の暖い日和に葉山の別莊から長者岬近くまで散歩した位だと手紙にも書いてある。こんなに早く健康を囘復する位なら、自分はあんなに周章て日本に歸つて來ないでもよかつたのだ。然し考へると海外に遊んで居たのも八年の長きに及んだ。直接の父母よりも親類のものなどが却て心配したに違ひない。それであんな電報…

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