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わが心のなかの白鳥碑
わがこころのなかのはくちょうひ
作品ID59312
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第26巻」 臨川書店
2000(平成12)年9月10日
初出「心 第一五巻第一二号」1962(昭和37)年12月1日
入力者よしの
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-10-28 / 2019-09-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 白鳥先生はわたくしにとつても最も思ひ出の深い人である。
 わたくしが十六七で、所謂文学青年といふものになつて師父を悩ましはじめたころ、最も愛読した作家は、思へば独歩、白鳥、さうして荷風であつた。この三人とも当年、自然主義全盛の文壇で新進の花形であつた。いつの時代の文学青年もさうであるやうに、わたくしもほとんど何もわからないでこの三人の令名をそのまま信用してこれに心酔したわけであつた。独歩はその後いくばくもなく亡くなつたので、旧作を読み返すだけであつたが、白鳥、荷風はその後も、その新作が出る毎に必ず読んで白鳥は「紅塵」荷風は「あめりか物語」の処女集以来この二作家のものは作家の終生に及んだ。さうして、この後もわたくしに読書能力ある限りは、時々その全集を繙くに違ひない。
 その間、荷風とは親しみ近づく機縁があつたが、近づき過ぎたためであつたか、歿後の今日では作品はともかく、この作者にはもう何らの愛着もなく、むしろ嫌悪を感ずるやうなあと味のわるい不幸な結果となつた(この事に就いてはまた改めて詳しく書くこともあらう)。
 これに反して白鳥とは水のやうに淡い交であつたせいか歿後ますます畏敬し親愛を感ずるやうになつてゐる。その作品もむかしはよくもわからなかつたが、わかつて見ると一見拙いやうに見えながら滋味の多いものであるが、この作者も正しくこの作品と同じことである。わたくしはわが心のなかに独自の白鳥文学碑を持つてゐるやうな気がする。
 わたくしは荷風がゐたといふだけの理由で三田に、(さあ、通つたとも学んだとも言へないし何と言つたものだか)時々、通つて、永年の間に少しばかり学んだが、その間に最も年少のため三田の文学講演会の使者を命じられ走り使ひをして、柏木にあつた岩野泡鳴のところへ講演を頼みに行つたことがあつた。泡鳴は夕飯の酒に少々酔つぱらつてゐた気味で、荷風論をして荷風の文学などはつまらない。そんな荷風の主宰する三田文学会の講演などに出ないと、それこそ一席の講演ほどの長広舌を揮つて、わたくしともうひとり同行の級友とを煙に巻いたものであつたが、その時、わたくしどもより一足おくれて泡鳴を訪うて同席してゐた人が、わたくしどもが先生の荷風が罵倒に近い論鋒にへきえきしてゐるのを見兼ねたかのやうに、泡鳴に対抗して荷風文学の美点を数へたものであつた。この事実はおぼえてゐたが、この時の論客が白鳥であつたことは、その後四十数年を経た一昨年、白鳥自身の口からそれを聞いて、やつと思ひ出したことであつた。たまたまわたくしがむかし泡鳴に会つた話をし出すと、
「その時、僕がゐて荷風をほめたではないか」
 と白鳥はさう言ひ出したので、わたくしもやつと気がついて、愛読してゐた作者がはじめて目の前に出て来たのを印象することのうすかつた自分の迂[#挿絵]を恥ぢ、この老大家の強記に感心したものであつた。この…

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