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伝説と事実 鷹を飼つた話
でんせつとじじつ たかをかったはなし
作品ID59342
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第23巻」 臨川書店
1999(平成11)年11月10日
初出「小説公園 第二号」1950(昭和25)年4月1日
入力者夏生ぐみ
校正者持田和踏
公開 / 更新2025-05-06 / 2025-05-06
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鷲を飼つた話を書けといふ。が、まだ鷲を飼つた事はない。飼つたのはただ鷹であつた。それを鷲といふのは数多い春夫伝説の一つにしか過ぎない。古来文豪は多くの伝説を持つてゐる。わが春夫はこの点、既に文豪の域に達してゐるのは我ながら欣慕に堪へぬ。
 思へば、両親ともにそれが好きで、子供の頃からずゐ分とたくさんの小動物を飼つて来た。わけても鳥が多い。獣は母がいじらしすぎると好まなかつたからである。
 明治二十何年か、とにかく自分の未生以前、十津川村の流失した熊野川の大洪水の時、家は河流に近かつたが咄嗟の間にも手飼の鶯の籠を屋内の一番高い棚に置き直して避難したのはよかつたが、餌を十分に補つて置く余裕がなくて、水よりも今は小鳥の飢を案じながら一夜を待ち明す間に水がひきはじめたのを幸第一に家に馳せ帰つて見ると、まだ玄関の床に濁流の引き切らぬ二階から鶯がほがらかに高音を張つてゐたのが楽しかつた。生涯にもあんな愉快な思はあまりないといふのが父の晩年に好んだ話柄の一つであつた。
 鳥は鶯、目白、山雀、小雀、カナリヤ、頬白さては雲雀、唯の雀から、画眉鳥、鶴、梟、烏まで飼つた。烏は飼つたといふのではなく、家に近い山に生れたらしいのが、毎日家の台所の前庭に来るのに母が魚の腸などをくれてやつてゐるうちに、毎日午後三時頃、夕餉の用意の頃を忘れずに通勤しては一時間ほど鶏に交つて遊んで帰るのを、皆で珍らしがり愛してゐた。この烏は来る前と帰つてから後とはいつも一種異様な「ヤツコ」と呼ぶやうな啼き声を立てて呼ぶので、家ではヤツコ烏と名づけて飼ひ鳥のやうに思つてゐたものであつた。二階の部屋に近い崖の上の楠の枝の上に巣があつた様子で、ここに生れここで育つたと見える。だからヤツコといふ啼き声も、或は自分の姉保子を呼ぶ時の自分の両親の声を聞き覚え聞き訛つたのではあるまいかと思はれるのであつた。ヤツコ烏は一年ばかり通勤してゐたが、その後、あまり姿を見せなくなつても声だけは楠の上で絶えず聞かれた。後には巣を代へた様子でそこには住んで居なかつたが思ひ出したやうにヤツコと啼きに来てゐた。自分が十二三歳の頃のほんたうの童話である。
 家は山に沿ひ窓は水に面してゐたから種々の小鳥の自然な生態を見る機会も多く暴風雨の夜など風に吹き飛ばされ燈影をたよつて来る鳥が多かつたので梟などは二三度もそれを捉へて飼つたのである。一度翡翠をつかまへた事もあつたが、これは餌の困難を考へて飼ふ事は遂にあきらめた。わざわざ飼はないでも窓の外の池で見られるからといふ理由もあつた。家は水野土佐守の居城丹鶴城址のすぐ下で、池はその城の壕の埋め残された一部分であつた。
 いろいろな鳥を飼つて見たあげ句に一度猛禽を飼つてみたいと思つてゐた折から、当時――といふのはもうかれこれ三十年も前の話である。――女房になつてゐたのが秋田の雄勝郡の者で、その親代り…

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