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亡鏡花君を語る
なききょうかくんをかたる
作品ID59352
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「徳田秋聲全集 第23巻」 八木書店
2001(平成13)年7月18日
初出「改造 第二十一巻第十号」1939(昭和14)年10月1日
入力者きりんの手紙
校正者安野千歳
公開 / 更新2020-09-07 / 2020-08-28
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治二十四、五年頃ではなかつたかと思ふが、私が桐生悠々君と共に上京して、紅葉山人の横寺町の家を訪れた時には、鏡花君は既に其の二畳の玄関にゐた。私達と同郷で、特に私とは小学校が一つなのだが、クラスが違つたせいか、其頃には互ひに相識る機会もなく、私達の通つてゐた石川県専門学校が高等中学になる時、一般の入学試験があり、私達も其の試験を受けたが、通路を隔て私と同列の側にゐた桜色の丸い顔をして近眼鏡をした青年がありリーデイングの時、いとも滑かなリイダの読み方をしたのを今でも覚えてゐるが、それ以前に通学の途中、ちよつと其の姿を見たことがあり、田舎には珍らしい、ちよつと印象の深い美しさであつた。君は広坂通のミツシヨンスクールへ通つてをり、私は専門学校へ通つてゐたのであつた。高等中学の試験では鏡花君は他の学科で落ちたものらしく、入つて来なかつたが、余程経つてから、私も大分文学かぶれのしてゐた頃だつたが、棚田といふ大通りの本屋で、新しい小説類の外に漢書を一冊借りて来ては読んでゐた頃、鏡花君も其の主人とは懇意らしく、一度店頭にゐる君を見たことがあり、それが泉といふ男だと主人が言ふのであつた。事によると、其時君は既に紅葉の門に入つてをり、脚気を患つて帰郷してゐた時であつたか、或はまだ一度も上京しない前であつたか、其の点は詳かでないが、俳諧師のやうに道行を着てゐたことが、記憶に残つてゐる。
 私が悠々君と横寺を訪ねた時は、先生には逢はなかつた。同郷の泉君が玄関にゐなかつたら、不在といはれて空しく帰つたにしても、或は再び出直して行つたかも知れないが、高等学校の同窓中山白峰も、先生の門に出入してゐて、私達が先生の許へ郵送した原稿が先生の手紙と共に宿へ返送されて間もなく、白峰からも先生の意志を取次いだやうな手紙があつたが、それも何だか気に喰はず、それ限りになつてしまつた。
 鏡花君の家は金沢でも同じ浅野川口の、新町といふ町にあつたらしい。此町には大分前に死んだ田中千里君の邸宅があり、其の父は県立病院の最初の院長で、私も大名屋敷のやうな其の家へ遊びに行つた覚えがあるが、千里君も鏡花君とは竹馬の友だつたといふのに、私と泉君とは遂に相知る機会がなかつた。泉君の家は尾張町の有名な菓子屋森八の裏にあつたさうで、父は飾屋であつたが、母は能師の松本と血縁の江戸ツ子で、早世したが、所持してゐた草双紙や錦絵が少年の頭に与へた感化は少くなく、後年の君の芸術の素地を成したものと思はれる。女が樹に縛りあげられ、打擲されてゐる画などを、能く描いてゐたといふことも、弟の斜汀から聞いたことがあり、町の腕白でもあつたといふことである。父が継母を迎へた時、このスマートな兄は、人の好い弟を使嗾して、お膳の上の飯を引くらかへしたりして、継母を困らせながら、兄自身は反つて継母にお愛想が好かつたといふのである。幼にして母を失つ…

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