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ラクダイ横町
ラクダイよこちょう
作品ID59381
著者岡本 良雄
文字遣い新字新仮名
底本 「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」 郷土出版社
2002(平成14)7月15日
初出「銀河 3巻2号」新潮社、1948(昭和23)年2月
入力者sogo
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-06-10 / 2023-06-05
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ラクダイ横町という、へんなあだ名の横町が、大学の近くにあった。きっさ店や、カフェーや、マージャンクラブなどがのきなみにならんでいて、少年は、その中のオリオン軒というミルクホールに働いていた。少年の名は、いのきちといった。
 いのきちは、山で生まれた。湖の上を流れるきりをおっぱいとしてのみ、谷をわたるカッコウの声を、子もり歌にきいて、大きくなった。
 駅までいくのに、二時間もあるかねばならなかったし、その駅から汽車にのって、日本海にでるのに三時間、また、南にむかって、太平洋を見ようとすれば、たっぷり一日がかりというような山おくであった。ちょうど、いのきちの生まれた朝、おじいさんが、うらの谷で大きなイノシシをうちとめたので、その記念に、いのきちという名をつけられたのだという。そんな山の中でそだったのだから、五年生の春の遠足で、はじめて日本海を見たときに、いのきちたちは、どんなにおどろいたことだろう。
「これが、海だよ。」
と、先生がいわれた。
「この海が、ずっと、むこうのロシアにつづいている。」
 こういいながら、波うちぎわに立って、遠い、はい色の空を指さしておられた先生のすがただけを、はっきりおぼえている。先生のうすいオーバーのすそが、風にまくれてうらがえり、先生のぼうしが、とびそうで、とびそうで……。けれども、そのときに、先生がどんな話をされたのか、ほとんど、おぼえていなかった。そしてただ、黒い海面を、あとから、あとから、走ってくる白い波と、いつやむともわからない強い風とが、いのきちたちの心をひきさらっていた。
 いのきちや、いのきちの友だちは、波うちぎわに、ごろごろころがっている、大きなにぎりめしほどある石が、波にあらわれて、すっかり、たまごのようにまるくなっているのにおどろいて、それを一つずつもって帰った。
「石におどろけ――ということばがあるが……。」
と、山の村へ帰ってから、先生が話をされた。
「これは、ロダンという彫刻家のいったことばなのだ。そのへんにころがっている石の、一つ一つがもっている形と色、その一つ一つに、おどろきの心を失ってはいけないということなのだ。――ところが、きみたちは、ほんとうに、日本海の石におどろいたらしいね。」
 先生は、こういって、わらわれた。そして、いのきちは、そのときのまるいたまごのような石を、だいじに、つくえのひきだしにしまっていたが、それを見るたびに、心が強く海にひかれるのだった。
 山の湖にも、風がさわぐと、大きな波がたった。けれども、海にくらべると、まるで、おとなと子どものような、ちがいであった。
 そして、その子どものような湖のまわりにも、おさないころのいのきちには、いろいろのおどろきはあったのだが、その中で、いまでもまだよくおぼえているのは、いのきちが五つの年のことであった。
 なんでも、しものおりた朝のこ…

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