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荷風先生と情人の写真
かふうせんせいとじょうじんのしゃしん
作品ID59395
著者佐藤 春夫
文字遣い新字新仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第26巻」 臨川書店
2000(平成12)年9月10日
初出「週刊現代 第一巻第六号」1959(昭和34)年5月17日
入力者きりんの手紙
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-12-03 / 2020-11-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

孤高の生涯に有終の美

 荷風先生の晩年の生活を、一種偏執狂的なものと見るか、それとも哲人の姿と見るかは人それぞれの眼によるが、そのさびしいような華やかな生涯が、逝く春の一夜人知れぬうちに忽然と終って、警察の眼には一個の変死体扱いされたのは世間並の眼には悲惨なものと見えるだろうと思うが、我々、偏奇館主人荷風先生の文学精神を知る者にとっては、裏長屋の庶民を愛した先生の信念を徹底させてその孤高の生涯に有終の美をなさせたものとして十字架に上ったキリスト並みに有難いものに思える。そうして悲しいとよりは何やらほっと重荷をおろしたような今までに知らぬ思をするのは我ながら奇異である。思うに、無意識のうちに、こんな時代に生きている先生に対してひとごとならぬ深い関心とか責任とかいったようなものを感じていたからではないだろうか。
 それにしても二十数年前、僕は一ころ、当時先生の腰巾着のようになっていた亡友帚葉子こと校正の神さまと自称した神代種亮に誘われてその相棒として荷風先生の側近となる光栄を持っていた。僕が十九歳以後の数年なまけていた三田の塾を退いて以来、しばらく全く打絶えていた先生にお目にかかる機会が多くなった。毎晩そこに先生の通っていた「村の小屋」とか「村の茶屋」とかいったカフェーに陣取って、夕方から看板まで先生を中心におしゃべりをしたものである。ほとんど毎晩顔を見せる先生に敬意を表して店ではいやな顔もしないおかげで、我々も心おきなく談笑したものであった。荷風先生は話好きで話題はあとへあとへつづいた。先生の死に臨んで自然と思い出されたその当時の幾つかの話をここに披露して先生を偲んでみたい。

先生の青春時代

 先生は、僕にはもと学生であったせいか決してそんな話はなく文学論や世相などを語られたが神代君にはかなり無遠慮な猥談などもしたらしい。僕はそれを神代から伝え聞いたものであった。神代の話によると、先生は一夕青春時代を回想して世界をまたにかけた色道修業をいささか誇らかに笑い話されたことがあったので、神代は、
「それでは、先生百年の後に紅毛碧眼の血の交ったような第二世が出現するような心配はございますまいか」
「いや大丈夫、そんな心配はありません。いつも世界に鳴りひびいた日本武術の秘術を尽して国威をかがやかしては来たが、戦場には必ず武装して、武装なしの白兵戦をするだけの勇気がなかったから、国の内外を問わず、万一、天一坊が出現しても、疑いもなくみなニセ者と思いなさい」
 いつの場合にも武装を怠らない戦士の用意周到よりも先生の意志の固いのを僕らはひそかに感心したものであった。今度病床に就くに当ってもひとりで不自由とも心ぼそいとも思わないで、何不自由のない境涯を孤独に徹して最後の息を引取ったのもやはりただの剛情我慢以上の意志の強さを見せているように思える。

保存していた情人たちの…

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