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朔太郎の思ひ出
さくたろうのおもいで
作品ID59396
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第26巻」 臨川書店
2000(平成12)年9月10日
初出「萩原朔太郎全集 第二卷 月報2」新潮社、1959(昭和34)年7月30日
入力者きりんの手紙
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-11-01 / 2019-10-29
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 朔太郎の名も作品も犀星と「感情」をやつてゐた当初から知らないではなかつたが特に注意するやうになつたのは、世間一般とともに彼の処女詩集「月に吠える」が出てからの事であつた。
 そのころ、僕は麹町下六番町の新詩社へ近いところに――偶然にも今、角川書店のあるあの場所に住んでゐて、与謝野先生の新詩社とはほんの一町とはない近いところであつたから、頻頻と与謝野先生の門に出入してゐた。
 或る日の新詩社の話題に、新刊の「月に吠える」の噂が出て晶子夫人は
「もうお読みになつて?」
 と聞く、僕はまだ読んでゐなかつたのでそのとほり云ふと、寛先生はすぐ、
「あれは急いで読むにも及ばない」
 とほんの一口に片づけてしまつたやうな口調であつたが、晶子夫人はそれをたしなめ抑へるかのやうに、
「でも鴎外先生も面白いと仰言つてゐたではありませんか」
 と云ひ出した。与謝野家にあつては当時、(ばかりでもなかつたが)鴎外先生の意見といふのは最高の権威を持つたものであつた。さうして晶子夫人は寛先生の詩に対する先入観を打ち壊して朔太郎君の独創的な詩業を認めさせたい様子がよく見えてゐた。さうしてわたくしにもこの詩人を注目させたいと思つたものか、晶子夫人はご自身の書斎からわざわざ「月に吠える」を持つて来て
「ごらんになりません?」
 と渡してくれたから、僕はそれを手にとつてしばらく読み耽つてゐた。神経で詩を作らうとしてゐるらしいこの詩人の行き方は僕にも実のところ、まだよくわからないが、何やら面白さうなといふぐらゐには感じ取られた。しかし寛先生は
「月に吠えるなんて犬か何かのやうな。何とかで竹が生え、どうとかして竹が生えかい、あんまり智恵のない話ではないか」
 寛先生はやつぱり、この詩人にはどこまでも感心したくない様子なのである。僕は黙つてゐたが、晶子夫人は
「わたし面白いところがあると思ひますけれど」
 と僕の一言を求めるらしいが、僕はやはりまだはつきりした意見を開陳するだけの自信もなく黙つてゐると、寛先生が、
「まあもう少しゆつくり見ようや、何もいそいで相場をきめる必要もない」とこの話題はこれで一段落がついた。
 これは後に知つたところであつたが、朔太郎も一時は新詩社へ歌の投稿などをしてゐた時代があつたらしい。僕などよりは少しだけ早い頃であつたらう。僕が明星を見るやうになつた時には、もうどこにも朔太郎の名は見なかつたから。寛先生の朔太郎を認めないのは新詩社の異端といふ意味ではなかつたらうか。
 僕は潤一郎や犀星とは朔太郎より早く知り合つて、彼らの口からよく朔太郎の噂を聞いたが、潤一郎は朔太郎をその詩よりも、その妹の美によつて注意してゐたらしい。後に佐藤惣之助の夫人になつた人である。潤一郎や犀星の噂によつて、僕は朔太郎を地方の小都会で何の苦労もなくギターなどを弄んでゐる青年詩人を想像してゐた。
 …

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