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日光山の奥
にっこうさんのおく
作品ID59402
著者田山 花袋
文字遣い旧字旧仮名
底本 「〈復刻版〉尾瀬と檜枝岐」 木耳社
1978(昭和53)年11月15日
初出一「太陽 第二卷第一號」博文館、1896(明治29)年1月5日<br>二「太陽 第二卷第二號」博文館、1896(明治29)年1月20日<br>三、四、五「太陽 第二卷第三號」博文館、1896(明治29)年2月5日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2021-12-13 / 2021-11-27
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 囘顧すれば曾遊二三年前、白衣の行者に交りて、海面を拔く事八千二百餘尺、清容富嶽に迫り威歩關東を壓したる日光男體山の絶巓に登りし時、東北の方、萬山相集りたる深谷に、清光鏡の如く澄影玻璃の如くなる一湖水を認め指點して傍人に問へば、そは栗山澤の奧、鬼怒の水源なる絹沼といへる湖水なりと聞きて、そゞろに神往き魂飛ぶに堪へざりしが、其の後日光山志を繙き、栗山郷を記するの條に至り、此地窮谷の間にありて、耕すべきの地極めて少く、纔かに岩石の際を穿ちて、禾穀を栽ゆるに過ぎざれば、從つて是を以て一年の貯食と爲すこと能はず、家々皆獸獵採樵してその生計を圖る云々、及び古昔平家の餘類、この山中に隱れたり云々、といふを讀むに及んで詩興頓に生じ、遊意俄かに萠して、一刻も遲疑し難く思ひたれど、紅塵深き處に束縛されたる身の、飛ぶに翼なく、翔るに足なく、山靈に背く所多しと吟じて、逡巡幾年の日月をや經にけん。然るに此頃聞くともなく聞けば、その栗山郷の今も猶昔の如く僻境たる事、その村程開けざる所は廣き日本にも又有るまじき事、それに續きて鬼怒川の奇、温泉場の古風、住民の質朴、言語の鄙野など、聞くにつけ語らるゝにつけ、わが詩興は再び燃えて、轉た心の動くに堪へざりしが、越えて明治二十八年十月幸に暇を得て、舊知識なる日光山に遊び、南谷の照尊院に寓すること十數日、一夜談偶々之に及ぶ。主僧は天下を周遊し、又曾て其地にも遊びたる人、得々として説いて曰く、「栗山の地僻は則僻なり、蠻は即ち蠻なり、然れどもその山水の奇、岩石の怪、庶幾くは天下に匹なからんか。世人溪流を言へば則木曾を説き、熊野を説き、日光を説く。しかも木曾は奇に失し、熊野は峭に失し、日光は麗に失す。栗山は則ち然らず。奇を欲すれば惡曲峠、瀬戸合權現の如きあり。峭を欲すれば中岩橋、間渡戸、及び瀧温泉の如きあり。只麗に至つては少しく缺く所ありと雖も、日光山中最も佳しと稱せらるゝ深澤川原に匹敵するもの頻々として少なからざるを見ば、又決して日光の山水に讓るべき者にあらざるを知らん。況んや之に加ふるに川俣、日光澤の温泉、絹沼の靈境、炭燒澤、梵天岩の奇景を以てするをや。天下の勝境と稱するも決して溢美にあらず。只道路極めて險、狹きは榛※[#「くさかんむり/奔」、U+83BE、45-10]人を沒し、廣きも猶一尺有餘に過ぎざるを以て、都會の人至るなく、從つて之を知る者甚だ稀なり、拙衲も始は之を知らず、時として説く者あるも馬耳東風以て野人の言となし、少しも心に會せざりしが、昨年の秋誘はれて始めて其所に遊び、優遊一月、奧の奧まで極め盡してより、その景常に夢寐の間にありて、更に心に忘るゝ事能はず、貴君にして若し山水の志あらば、斷然行きて遊ばん事を勸めずんばあらず」と、揚々として得意の色眉間に溢る。
 我はさらぬだに懷を忘るゝ能はざる身の、勃然詩境の激するに堪へず、悉く萬…

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