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黒岩山を探る
くろいわやまをさぐる
作品ID59403
著者沼井 鉄太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「〈復刻版〉尾瀬と檜枝岐」 木耳社
1978(昭和53)年11月15日
初出「山岳 第十六年第三號」日本山岳會、1923(大正12)年5月31日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2021-07-02 / 2021-06-28
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 これは岩代國南會津郡の檜枝岐村から實川の溪谷を遡り、岩野上三國の國境なる黒岩山(二一六三米)を越えて、鬼怒川上流の一支流ヨイチ澤(コダ池澤)を下つた時の旅日記である。

一、日光より檜枝岐へ

 黒岩山は鬼怒川峽谷の川俣温泉を根據地として黒澤を遡れば達せられるだらうといふ事は、當然誰にも豫想されるし、又時間の上から云つても最も便利な順路に違ひないが、實川の谷から取付くといふ事が數年來の私の希望であつた。其れには檜枝岐村を發足地とするの他はないが、其の奧深き里までは日光―川俣温泉―引馬峠―と結び付けるのが捷徑である。
 大正九年の十月二十八日午後十一時といふに、上野から北行の列車に乘り込む。豪く混むので一睡も出來ず、此頃は常も連になる岩永良三君、名越徹君と退屈をカードにまぎらす。宇都宮で下車、曉の六時迄四時間といふものは時ならぬ無料宿泊である。
 漸く日光へ、其れから電車を利用して馬返へ來ると、其の邊の紅葉が眞盛なので、山奧へ行つて林間酒を暖める體の風流はあきらめる。不動坂は通過する毎に氣樂になつて、氣さくな遊客の愚問にも別に苦しまない。劒が峰、五郎兵茶屋などで手間を取つたので、中宮祠で鱒の天丼を平らげたのは午後一時の頃であつた。天幕、毛布、防寒具の類を、三つのルックザックに分けて負うたのだが、かなりの重さで中々こたへる。晴れてゐた白根が曇る頃ほひ、龍頭瀧で休んで赤沼ッ原へ、そして三本松から例の嫌な砂ぼこ道を光徳沼に向ふ。午後三時を二十分も過ぎて山王峠に差しかゝると、むら/\と面倒臭さがこみあげて、電信柱の切開を一直線にひた登りに登つた。峠の上の草原で名越君がウヰスキーを煽ると私達も相伴して、暮近き男體、太郎、大眞名子、山王帽子の山々をゆくりなくも見渡す。其れから西澤金山迄はと思つて出掛けた足は鉛を結びつけられた如く、最早闇の道を鐵索の邊りから大[#挿絵]りに下りて行く。以前此處に來た時は宿屋めいたものが出來てゐたが、不景氣故か姿は失せて、路傍に佇んだ女は一飯一粒をさへ旅人へ分ける事が難しいといふ。事務所の規定として人口一人當りの食糧を制限してあるのださうだが、其れでもその内儀さんは深切を盡して私達を家に導き、汁を暖めたりして呉れた。私達は腹も出來たので禮を述べて午後八時近く此の家を出る。十八夜の月は皎々と照り輝いて山腹の大道を辿る三人の姿を夢の樣に浮べ出す。太郎山の怪異な半面も其の時は聖者の如く尊まれるのであつた。斯くて川俣温泉に着いたのは十時を過ぐる事五分の後であつた。遲い夜食は、前日捕れたといふ牝鹿の汁、てうまの燒肉で美味しく味ひ、午前零時十五分に就寢。
 三十日。一夜の安眠は慣れぬ疲勞をも悉く癒して呉れた。其れでも出發は矢張り遲れて午前九時になる。草鞋の紐を結ぶと宿から盤梯餅を馳走されて、其の日の午後から一泊の豫定で鬼怒沼探勝に出掛けられる筈の大町桂…

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