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ファシズムとは何か
ファシズムとはなにか |
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作品ID | 59406 |
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原題 | WHAT IS FASCISM? |
著者 | オーウェル ジョージ Ⓦ |
翻訳者 | The Creative CAT Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
入力者 | The Creative CAT |
校正者 | |
公開 / 更新 | 2019-01-21 / 2019-11-22 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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あらゆる今日的な未解決問題の中で、最も重要なのはおそらくこれだ:「ファシズムとは何か。」
先日、米国のとある社会調査機関がこの質問を総勢百名の市民に向けたところ、「純粋な民主主義」から「純粋な悪魔主義」に至る様々な回答を得た。この国で(*1)、平均的な考えをもつ人物にファシズムを定義させたら、ドイツとイタリアの政権がそれだと答えるのが常だ。だがこれは極めて不満足な定義である。なんとなれば主たるファシスト国家の間にも、その構造やイデオロギーにおいて顕著な相違があるからだ。
一例としてドイツと日本を同じ枠組に押し込むのは容易でないし、ファシストと呼びうる小国の幾つかにとっては、それは一層困難な作業である。例えば通常、ファシズムは生得的に好戦的だということになっており、ヒステリックな戦争熱をまとって脅迫し、専ら戦争準備と他国の征服を通してのみその国の経済的な諸問題を解決することが可能である、ということになっている。だが明らかに、この思い込みはポルトガルや種々の南米独裁政権においては真実ではない。例を加えると、反ユダヤ主義はファシズムを他のものから区別する印だと考えられているが、ファシスト運動の中には反ユダヤ主義的でないものがある。何年ものあいだ米国誌上で繰り返されてきた学術論争によっても、ファシズムが資本主義の一形態か否かを決着させることができずにいる。それでも尚、ドイツや日本やムッソリーニのイタリアについて「ファシズム」の語を採用する時、それが何を意味するか、私たちは大まかに知っているのだ。この語が意味の痕跡に至るまで失ってしまうのは、まさに国際政治の場においてである。報道を具にチェックしてみたまえ。市民の集合で、この十年間にファシストとして弾劾されなかったものはほとんどなく――政党その他の組織体に至っては皆無であることに気づくだろう。ここで私が言っているのは会話の中での「ファシスト」の用法ではない。印刷物に現れたものの話だ。以下の市民の集合体に対して、大真面目に「ファシストに同情的な」とか「ファシスト的傾向を帯びた」とか、あるいはシンプルに「ファシストの」という言葉を使うのをみたことがある:
・保守主義者:ハト派タカ派の区別なく、すべての保守主義者は内心ファシストを支持しているとされる。大英帝国によるインド及び植民地の統治はナチズムと区別し難いとされる。愛国的な某、ないし伝統の某、と呼ばれ得るような組織は片端から隠れファシストあるいは「ファシスト志向」というレッテルを貼られる。ボーイスカウト、ロンドン警視庁、MI5(*2)、英国在郷軍人会がその例だ。合言葉:「パブリックスクールはファシズムの温床だ。」
・社会主義者:旧態依然とした資本主義を守護せんとする人々(例:サー・アーネスト・ベン)は社会主義とファシズムとは同一だという主張を曲げようとしない。カ…