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八※[#小書き片仮名ガ]岳登山記
やつがたけとざんき
作品ID59417
著者亀井 勝一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」 ヤマケイ文庫、山と渓谷社
2017(平成29)年3月1日
初出「旅 第三一巻第八号」日本交通公社、1957(昭和32)年8月1日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2019-11-14 / 2019-10-28
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

山と私

 私は北海道の南端の海辺に育ったので、若いときから山国というものが大へんめずらしかった。
 北海道も石狩平野から奥へすすむと山国同様だが私はその地方は殆んど知らない。朝夕に津軽海峡を眺めて暮してきたので、周囲の全部が山また山という風景に接すると異様な感じを与えられる。初夏のみどりで全山が蔽われ、眼にうつるもの悉くみどりといった中で、私は目まいしそうな状態になることがある。濃厚な葉緑素が身体にしみいって、酔ったような気持になる。
 はじめてそういう経験をしたのは高校時代で山形であった。最上川の上流、馬見※[#小書き片仮名ガ、307-10]崎川のほとりに盃山という丘があるが、そこへ登ると、はるかに朝日岳、湯殿山、羽黒山、月山などがのぞまれた。私は高校時代に一度だけ蔵王山に登ったことがある。新緑に蔽われたこの山の中腹から、はるか遠くに白雲を頂いた鳥海山を眺めたときの印象は、いまもなお残っている。
 学校を出て、東京に住むようになってから、私は山など殆んど忘れていた。私の住む武蔵野からは、遠く秩父連山がみえ、場所によっては富士山もみえるが、それは単にみえるというだけで、私の関心をそそることはなかった。ところで戦後はかなり旅行する機会が多く、その中でも長野県へは一年に七、八回も旅行することがあった。中央線で松本の方へ、或は塩尻から木曽路へ、春夏秋と、いくたびか出かけるようになった。
 八※[#小書き片仮名ガ、308-8]岳は、したがって早くから私の眼に映っていた。形の複雑な、どこか奇怪で神秘的なところもある一風変わった山だなと思っていた。自然の巧みな造型力を、この山などは典型的に示しているのではないかと思ったりした。仮に「美術品」という言葉を使うなら、八※[#小書き片仮名ガ、308-11]岳などは山の中での「美術品」と言っていいかもしれない。
「美術品」となった山の代表は言うまでもなく富士山で、絵画はむろん、床の間の置物やみやげものにまでなって、それだけ俗化したとも言える。広重の富士、北斎の富士、鉄斎の富士、大観の富士、梅原龍三郎の富士と、それぞれの時代を代表する絵画上の名品があるが、富士山はつねに改めて発見されなければ、存在しないということをそれは語っているようだ。俗化すればするほど新しい発見を画家は強いられるだろう。将来どんな形の富士山が絵画の上にあらわれるか、たのしみである。
 ところで八※[#小書き片仮名ガ、309-2]岳の方は、未だかつて俗化したことはない。日本アルプスの諸山は有名だが、それに比べて八※[#小書き片仮名ガ、309-3]岳は有名な割合にはもてはやされない。いや、知る人はその名山であることをほめるが、どういうわけか他の諸山に比べると普及はしない。夏になると、誰もがきまったように富士山へ、アルプスへと急ぐ。八※[#小書き片仮名ガ、309-…

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