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烏帽子岳の頂上
えぼしだけのちょうじょう
作品ID59418
著者窪田 空穂
文字遣い新字新仮名
底本 「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」 ヤマケイ文庫、山と溪谷社
2017(平成29)年3月1日
初出「早稻田文學 第二百三號」早稻田文學社、1922(大正11)年10月1日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2020-06-08 / 2020-05-31
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 眼が覚めると一しょに、私はテントから這い出した。着ものは夜も昼も一つものである。着がえといえば、靴下を脱いで、甲掛足袋と草鞋とを穿くだけであった。
 昨日、朝から夕方まで、殆ど四つ這いになり通してこの烏帽子岳の乗越まで登った、その疲れはほぼぬけてしまっていた。寝しなには、「眠れるか知ら……」とあやぶんだが、気を落ちつかせていると、いつか寒さを忘れて眠ってしまったらしく、今は、眠りの足りたあとにだけ感じる一種の快ささえある。
 三つのテントの側に、それぞれ焚火をしていた。人夫が朝飯の用意にかかっているのである。私たちの側には、三人の人夫が火を焚いたり、鍋をあつかったりしていた。案内はまだ起きて来ないらしい。「お早う、」といって私は焚火の側へ寄って行った。太い枯木と偃松との積み重ねは、煙りながらも赤黒い炎を吐き立てている。
「お早うござんす、」と人夫は笑顔で迎えながら、簡単に挨拶をかえした。
「寒いね、」と私は双手を火の上に翳して暖まろうとした。
「ええ、でもお天気で何よりです、」と年寄の人夫は、その細い眼に嬉しそうな笑みを浮べながら云った。
「降られちゃ大変だろうね」と、私は昨日の登りを思い出した。
「そりゃ話になりません。全く命懸けですからね。」
 そう云って人夫は何か話し出しそうにしたが、眼が鍋の蓋に動くと、慌てて、燃えあがる炎のなかに手を入れた。その手は鍋の蓋を取り上げた。鍋のなかには米が煮え立っていたが、そこには細かい炭がかなりまじって一しょに躍っていた。
 私は朝の習慣になっている煙草へ火を移した。そして、
「これから出懸けるまで何をしよう……」と思った。煙草をすいながら次ぎにすることを考える、これは私が、昨日からの経験で覚えさせられた、この旅での楽しみの一つである。
 私のような足弱は、案内に歩き出されたが最後、余裕と云うものは全く奪われてしまう。遅れまい、一行の厄介者になるまいと思うと、歩行三昧になって、一歩一歩に、心身の全体を集めて、弛みなく、しかしゆっくりと歩くより外はない。その時には殆ど外界との交渉をもつことはできない。眼をやったら離すに惜しいようなもの、余裕があったらそこに坐り込んでしまうような場所が、限りないまでに続き拡がっていると思いながらも。
 それに案内は、朝と夕方と昼飯後とは、ゆっくりと休むものだということを知った。今も、これから出懸けるまでには、少くとも二時間くらいの時間はあるはずである。
「何をしよう、この自分の自由に楽しめる二時間の時間を。」
 しかしそれは、実は考えて見るまでもなくきまっていることであった。昨日の夕方、平地から初めてこの山の乗越に登った時、その快さに乗せられて、私は疲れてはいるが一と思いに烏帽子岩まで行って見ようと思った。そして案内に相談すると、「朝になすったがいいでしょう、」と止められたのであった。今…

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