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女子霧ヶ峰登山記
じょしきりがみねとざんき
作品ID59421
著者島木 赤彦
文字遣い新字新仮名
底本 「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」 ヤマケイ文庫、山と渓谷社
2017(平成29)年3月1日
初出「山岳 第一年第一號」日本山岳會、1906(明治39)年4月5日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2020-03-27 / 2020-02-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 余は熱心なる女子登山希望者である。曩に三河国の某女が、下駄がけを以て富士登山の先駆をなし、野中千代子が雪中一万二千尺の山巓に悲壮なる籠居を敢てせし以来、奈良朝の昔、金峰山の女尼が、六尺男児を後へに瞠若たらしめた底の女子が追々増加して、三十五六年頃からは、各地女学校の団隊が追々富士登山を試みる様になったのは、寔に喜ばしい現象である。余の記憶に存して居る者のみにても、此の二三年に、富士登山を試みたのは余程ある。即ち三十六年には女子美術学校の生徒が登り、三十七年には山梨県師範学校女子部、女子体操音楽学校(二十余人中二人疲労)、神奈川県高等女学校等が登って居る。此の外嘉納氏夫人は三十六年に単独登山を行い、板垣伯、原敬二氏夫人はその翌年に登山を企てられたそうである。特に今年は樺山伯の孫女が、垂髫のろうろうしさを以て、繊小な足跡を山上の火山灰に印したと聞いては、眉を描き、眼尻を塗り、蘇芳に頬を染める女学生すらある今日に、吾党のため実に大なる援助を得たものと思われてうれしい。尤も右に述べたのは、皆新聞紙上に表れた者のみであるから、勿論吾人の視聴に触れない、幾多の巾幗登山者があったに相違ない。此の種のものは今の内によく調べて置いて、他日明治女子登山史を編纂する材料とし度く思う。余は三十六年に女子二十余人を率いて、八ヶ岳登山をした事がある。二泊三日の登山中一人の疲労者をも出さず。採集物も随分豊富、先ず成績佳良の方であった。今年八月又々十五人の女子を引連れて霧ヶ峰に登った。以下記する所はその紀行で、それにまま山案内的のものを交えて、諸君子の登山に便せんと思うのである。

 霧ヶ峰は、八ヶ岳火山彙中の北端にある休火山で、地籍の大部分は長野県諏訪郡にあって、一部分は小県郡に跨って居る。高さはやっと二千米突内外で、その上に傾斜が極めて緩慢であるから、上諏訪町附近の人が、春から夏秋にかけての登山は、丁度日曜の遠足に、恰適位な程度である。山の面積の極めて広大なるに比して、高さが前記の如くであるから、一寸見には、根からダラシの無い、不恰好な、何処に主峰があるかさえ分らぬ草山で、云わば火山中の老朽者と云う位置であるが、登って見て、何処までも奥行の知れぬ広さが、他の佶屈な少壮火山(形から見立てて)と異なったよい感じを与える。余は此の山を一日の遠足地として、非常に珍重して居る。去年は四回、今年は五回登って居るが、未だ霧ヶ峰と云う纏った感じが頭に這入らぬ。つまり不得要領の山であるから、何回登っても面白いのだ。それに比べると南隣の立科山などは、形式が誠に単一で只旧火山の饅頭形の上に、新火山の円錐形が坐って居るのみで、甚だ要領を得て居るが、余は一度登ったきり二度登ろうと云う興味が出ない。猶又霧ヶ峰は植物採集地としても、随分価値のある山で、山麓(上諏訪町下諏訪町方面)より山頂にいたるまで、甚だ多方面の…

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