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登山は冒険なり
とざんはぼうけんなり
作品ID59422
著者河東 碧梧桐
文字遣い新字新仮名
底本 「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」 ヤマケイ文庫、山と渓谷社
2017(平成29)年3月1日
初出「山 第一卷第三號」梓書房、1934(昭和9)年3月1日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2020-02-26 / 2020-01-24
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 役小角とか、行基菩薩などいう時代の、今から一千有余年の昔のことはともかく、近々三十年前位までは、大体に登山ということは、一種の冒険を意味していた。完全なテントがあるわけでなく、天気予報が聞けるでもなく、案内者という者も、土地の百姓か猟師の片手間に過ぎなかった。
 で、登山の興味は、やれ気宇を豁大するとか、塵気を一掃するとか、いろいろ理屈を並べるものの、その実、誰もが恐がって果し得ない冒険を遂行する好奇心が主題であった。況や、金銭に恵まれない当時の書生生活では、無理とは知りつつ、二重三重に冒険味を加える登山プランしか立て得なかった。
 天佑と我が健康な脚力を頼みにして。
 無事に下山して来て、日に焼けた紫外線光背面を衆人稠坐の中にツン出し、オイどうだ! と得意な一喝を与えたものだ。
 そういう卑近な我々の経験から割り出すと、役小角時代の冒険味は、どの方面から言っても、常に生命線を上下する危険そのものだったに違いない。自然雷を吸い雲に乗ると言った、人間を超越した仙人的修行を積まなければ、到底其の難行苦行には堪えなかった。いつでも木の芽を食らい、木の根を噛んで、其の健康を維持するだけの経験を積んでいた。言わば原始的、野獣的な行動であったのだ。吉野の大峯に残る修行場というような、奇岩怪石を背景にしての練膽法は、即ち役小角時代からの伝統の遺物とも見るべきだ。
 現に四国の石鎚山では、七月一日の山開きの当日から、七日間断食して毎日頂上をかける――かける、とは山腹の社から頂上までを往復するをいう――というふうな特異な登山行者がある。其の行者のいう所によると、三日目頃が最も苦痛で、今にも倒れそうであるが、七日満願頃には、却って神身爽快、雲に乗るかの思いをするとの事だ。又山中高原に結廬し、笹の芽を食って、幾日か難苦の修業をする者もある。彼等の経験によると、本統に餓渇を訴えなければ、笹の芽など到底咽へは通らないと言う。
 霞を吸い、雲に乗るという仙人観も、仮空な想像でなく、人間も苦難な経験を積めば、そこに到達し得る可能な実在であったのだ。
 今日のように、登山文化が遺漏なく発達しては、最早や冒険味など殆ど解消し、納涼的享楽味化した観がある。オイ、一寸烏帽子岳まで、と浴衣がけで出かけるような気持など、それがいいわるいは別として、文化人の一種の矜りであるかも知れない。槍ヶ岳の坊主小屋あたりまで、人間の体臭、いや糞臭で一杯だというじゃありませんか。ロック・ウォーキング、垂直の岩壁を散歩するのでなければ、現代のアルピニストではないそうですね。
 まあ前時代? と言っていいでしょう。我々時代の登山は、一歩役小角に近づき、仙人修業の一端に触れた、むしろ珍妙と言ってもいいステージの想い出、手ぐれば尽きない糸のように。

 初めて白山登山を志した時、地理も余り究めず、ただ一番の捷径というので…

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