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忠五郎のはなし
ちゅうごろうのはなし
作品ID59430
原題THE STORY OF CHUGORO
著者小泉 八雲
翻訳者田部 隆次
文字遣い新字新仮名
底本 「小泉八雲全集第八卷 家庭版」 第一書房
1937(昭和12)年1月15日
入力者館野浩美
校正者大久保ゆう
公開 / 更新2020-06-27 / 2020-05-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昔、江戸小石川に鈴木と云う旗本があって、屋敷は江戸川の岸、中の橋に近い所にあった。この鈴木の家来に忠五郎と云う足軽がいた。容貌の立派な、大層愛想のいい、怜悧な若者で、同僚の受けも甚だよかった。
 忠五郎は鈴木に仕えてから数年になるが、何等非難の打ち所のない程身持もよかった。しかし遂に外の足軽は、忠五郎が毎夜、庭から抜け出して明方少し前までいつもうちにいない事を発見した。初めは、この妙な挙動に対して誰も何にも云わなかった。その外出のために日常の務めに故障を来す事がなかったのと、またそれは何かの恋愛事件であるらしかったからであった。しかし暫らくして、彼は蒼白く衰えて来たので、同僚は何か重大な間違でも起らぬように、干渉する事にした。そこである晩忠五郎が丁度家を抜け出そうとする時、一人の年取った侍が彼をわきへ呼んで云った、
『忠五郎殿、御身が毎晩、出かけて、明方までうちに居られない事は、我々皆知っている。それから見たところ顔色もよくない。どうも御身は悪友と交って健康を害しているのではないか。その行に相当の弁解ができないとこの事を役頭まで届けて出なければならない。何れにしても我々は御身の同僚でまた友人であるから、御身がこの家の掟に反して夜分外出なさる理由を承るのが正当じゃ』
 そう云われて忠五郎は大層当惑し、また驚愕したらしかった。暫くは黙っていたが、やがて、彼は庭に出た、同僚もそのあとに続いて出た。二人が外の人に聞かれない所まで来たとき忠五郎は止って云った。
『もう一切申します、しかしどうか内密にしておいて下さい。もし私の云う事を洩されると、一大不幸が私の身にふりかかります。
『五ヶ月程前の事です。私がこの恋のために始めて夜外出しましたのは、ことしの春の初めの事でした。ある晩私は、両親を訪れて屋敷へ帰ろうとする途中、表門から遠くない川岸に婦人が一人立っているのを見ました。みなりは上流の人のようでした。それで私はそんな立派な装いの婦人がこんな時刻に一人そこに立っているのが変だと思いました。しかし私はそんな事をその婦人に尋ねる理由はないと思いましたので、何も云わずにわきを通ろうと致しますと、その婦人は前へ出て私の袖を引きました。見ると大層若い綺麗な人でした。「あの橋まで私と一緒に歩いて下さいませんか、あなたに申上げる事があります」と女は云いました。その声は大層柔かな気もちのよい声でした、それから物を云う時、にっこりしました。そのにっこりには勝てませんでした。そこで私も一緒に橋の方へ歩きました。その途中女は私が屋敷へ出入するのをこれまで度々見ていて好きになったと云います。「私はあなたを夫に持ちたい、あなたは私が嫌いでなければお互に幸福になれます」と云いました。何と答えてよいか分らなかったが、大層綺麗な女だと思いました。橋に近づくと女はまた私の袖を引いて堤を下りて川の丁度…

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