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故郷
こきょう
作品ID59433
著者魯迅
翻訳者佐藤 春夫
文字遣い新字新仮名
底本 「故郷・孤独者」 新学社文庫、新学社教友館
1973(昭和48)年5月1日
初出「中央公論」1932(昭和7)年1月1日
入力者大久保ゆう
校正者佐藤すだれ
公開 / 更新2021-05-06 / 2021-05-06
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はきびしい寒さを物ともせず、二千里の遠方から二十余年ぶりで故郷へ帰って来た。
 冬も真最中となった頃、やっとのことで故郷へ近づいた折から、天気は陰気にうす曇り、冷たい風は船室の中まで吹き込んで来て、ぴゅうぴゅうと音を立てている。船窓から外を覗いて見ると、どんよりとした空の下に、あちらこちらに横たわっているのはみじめな見すぼらしい村であった。活気なんてものはてんであったものではない。自分の心には圧え切れないうら悲しさがこみ上げて来た。
 ああ、二十年このかた忘れる日とてもなかった故郷はこんなものであったろうか。
 わが心に残っている故郷はまるでこんなところではなかった。故郷にはいいところがどっさりあった筈。その美しいところを思い出して見ようとし、その好もしい点を言って見ようとすると、私の空想は消えてしまい、現わす言葉も無くなってしまって、目の前に見るとおりのものになってしまう。そこで私は自分に言って聞かすには、故郷はもともとこんなところだったのだ。――昔より進歩したというのではないが、それかといって必ずしも私が感ずるようなうらさびしいところでもない。これはただ自分の心持が変ってしまっただけのことなのだ。というのは自分が今度故郷へ帰って来たのは、決して上機嫌で来たのではないからだ。
 私は今度は故郷に別れを告げるために来たのである。私たちが何代かの間一族が寄り合って住んでいた古い屋敷が、もうみんなで他人に売り渡されてしまい、明け渡し期限は今年一杯だけで、是非とも来年の元旦にならないうちに私たちはこのなじみ深い古家に別れ、また住み馴れた故郷の地を離れ、家を引き払って、私が暮しを立てている土地へ引っ越してしまわなければならなかった。
 次の日の朝、私は自分の屋敷の門口に来た。屋根瓦の合せ目には多くの枯草の断茎が風に吹きさらされながら生えて、さながらにこの古家が持主を代えなければならない原因を説き明し顔であった。あちらこちらの部屋にいた親戚たちでは多分もう引っ越しがすんでしまったらしく、大へんひっそりとしていた。私は自分の住まいの部屋へ近づいたが、母は早くも私を待ち受けて出て来た。それにつづいて飛び出して来たのは八つになる甥の宏児であった。
 母は大へん機嫌がよかったが、それでも浮かぬげな気色はありありと見えた。私に腰を下ろさせ、休ませ、お茶をくれて、しばらく家を片づける事の話もしなかった。宏児はまだ私を見たことがなかったものだから、そばへはよりつかずにまじまじと私の顔を見つめているのであった。
 さて、私たちはとうとう家を片づける話をはじめる段になった。私はもう住居は借りて置いてある、それからいくらかの家具は買ってあるが、そのほかは家にある木の道具類を売ってしまって、その金で買い足すといいと言った。母もそれがいいと言った。そして荷作りは大体すんでいるが、木の道具…

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