えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

夢に荷風先生を見る記
ゆめにかふうせんせいをみるき
作品ID59438
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第26巻」 臨川書店
2000(平成12)年9月10日
初出「回想の永井荷風」霞ヶ関書房、1961(昭和36年)4月30日
入力者
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-12-03 / 2023-11-26
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 荷風先生の回想なら拙作「小説永井荷風伝」のなかに何一つ漏さず書き尽して一つの話題をも漏らさなかつた。だからここに新しく書きかへる事は何もない。
 小説荷風伝を書いた結果、荷風に関して別に書くべき事が生じたのは「実説永井荷風」とでも銘を打つて非小説の文壇生活の実情をもルポルタージュとして記録して置きたいと思つてゐるが、それはここに書くには少々長すぎるばかりか、あまり適当ではないやうな気がする。
 そこで気軽るに執筆を引き受けては置いたやうなものの、書くべきことは何もないといふよりは小説荷風伝を書いた事と実説荷風に書きたい事とによつて、荷風晩年の側近と自称して荷風を食ひ物にしてゐる下劣な男とそんな男を無条件に信じてゐる馬鹿な一批評家のおかげで、わたくしは彼らがわたくしを中傷するために口なき故人の語をつくり出したとは信じながらも、わたくしは往年の荷風崇拝から脱脚したやうな気がして、何も改めて書きたくないと思つてゐたのかも知れない。
 ところが、ついこのほど、あれは十日か二週間ばかり前でもあつたらうか、夢に荷風先生を見てさめ、自分はまだやはり往年の荷風崇拝から卒業し切つてゐないのだ。自分の心の底に根を張つた昔ながらの荷風先生は今もまだわたくしの心に生きてゐたことを知つた。そこでその夢を語る痴人にならうと思ふ。
 夢は多分、この原稿を書かなければならないが、書くべき何事も無いのを思ひ煩つた明け方の残夢でもあつたらしい。
 夢のなかでわたくしは荷風先生の死を、はじめて聞いた。わたくしは荷風先生の亡くなつた家を見て置きたいと思ひ立つて、直ぐ家を飛び出した。わたくしは先生の亡くなつた家といふのを当時まだ見てゐなかつたからである(この事は事実である)。
 夢のなかの荷風先生臨終の家といふのは何処だかわからないが、ちよつとした丘をのぼつたところにあつた。屋後に出ると月の下には家々が遠くつづいて見えた。後に思へば、あの眼下の町の様子はどうも三田山下の一角稲荷山であつたらしい。稲荷山といふのは三田の塾の奥で演説館のあるところで、わたくしは前年の秋二度ほどここへ行つて、往年の塾の学生時代を思ひ出してゐた。
 丘の上の家はいかにも主の亡くなつた人のやうに閉め切つてゐた。それで裏手にまはつて見ると、庭は黄色くもみぢした雑木の林でその根方のスロープ一面にうす赤い色の尾花が風になびいてゐる。季節は秋で夢は美しい色彩があつた。わたくしは二三十年ぶりで色彩のある夢を見たのである。
 しばらくこの庭に佇んであたりを見まはしてゐたが、再び表へまはつて門の入口から敷石づたいに(この敷石は偏奇館の門から玄関に通ずるものと同じであつた)門から出ようとすると、家から出て来た人がある。見れば、それが夢といふものなのであらう、死んだはずの荷風先生であつた。わたくしは先生が突然ここに出て来たのを少しも怪しみもせ…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko