えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

今は亡しわが犀星
いまはなしわがさいせい
作品ID59439
副題告別式で述べたことのあらまし
こくべつしきでのべたことのあらまし
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第26巻」 臨川書店
2000(平成12)年9月10日
初出「心 第一五巻第五号」心編輯所、1962(昭和37)年5月1日
入力者
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-03-26 / 2023-03-20
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 中野重治君が友人代表としてわたくしに弔辞を述べさせてくれるのは適当な人選かどうかは知らないが、思へば故人の東京での最もふるい友人には相違ないし、せつかくの指名は固辞すべき筋合ひのものでもなし、お引受けした。
 ところが指名を受けた日から一昼夜、それから実は今日も午前十一時ごろまで弔辞の文案をねつていたのに、どうしても文はまとまらない。
 わたくしは医者のせがれのせいか、死といふものはほんの生理的現象とあつさりドライにかたづける側で、今までそれですぎてゐたのに、今度ばかりはほかに理由があるのかどうかは知らないが、何か体じゆうを不消化な物があちらこちらと移動しているやうな気がして落ちつけず、弔辞一つ満足に書けない。仕方がないから訥弁をかえりみず言葉で述べさせていただくことにします。
 回顧すれば明治四十二年上京したわたくしは本郷界隈でぐすぐすしてゐる間で友人広川松五郎のところではじめて、さうして度々故人のうわさを聞いた。彼がほとんど毎晩のやうに根津権現裏の酒場に出没して、撲つたとか撲られたとかいふやうな話ばかりであつた。お互に名を知り合つたのはそのころ、お互の二十歳前後からであつた。もう五十年あまり前のことになる。
 その後彼は盟友萩原朔太郎とめぐり合つてパンフレットのやうな詩誌「感情」を出すに到つて毎号寄贈を受けて彼の詩を愛誦した。
 彼の詩は熱情的で純粋なさうして色情の匂ひのおびただしい、すべての実感を世俗を憚らない思ひ切つた強い表現を持つたもので、その独自の表現は原始人のやうな生気といふより蛮気に満ちたものであつた。この詩精神と蛮気のある表現とは、後年詩から散文に移つて後も生涯一貫したものであつた。
 その詩に感心しながらも社交性のないわたくしは彼のところへたずねて行つたり手紙を書いたりすることもなく数年過ぎた。
 偶々彼が散文の第一作を発表した時、それに共鳴するところのあつたらしい谷崎潤一郎に誘はれて、当時たしか田端だか滝の川だかそのあたりにあつた植木屋のうら木戸からすぐ出入りする離れへ彼を訪問したのが彼とはじめて話した機会であつた。それまで名は知り顔も途上で見かけて互に黙礼したことぐらゐはあつたが口を利いたことはなかつたのである。
 彼は大に喜んだ様子で我々を迎へてくれた。机上には新潮社の近代文学全集版らしいドストエフスキーのカラマゾフの兄弟だか何かが置かれてゐて、彼はそれを読んでゐたところらしかつた。
 その時、どんな話をしたのかおぼえていないが、ただ一つ印象に深いのは、部屋の片隅にみかん箱を横倒しにして並べ積み重ねたなかに、遠眼には九谷か伊万里かとも思へる陶器が大切げに飾られてゐることであつた。
 およそ三十分ばかり話して外に出ると、谷崎は室生の無邪気に熱のあるところが気に入つたげな様子であつたが、それにしてもあのみかん箱はおかしいと悪意なく笑つ…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko