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スウィス日記
スウィスにっき
作品ID59445
著者辻村 伊助
文字遣い新字新仮名
底本 「スウィス日記」 平凡社ライブラリー、平凡社
1998(平成10)年2月15日
初出序「スウイス日記」横山書店、1922(大正11)年8月12日<br>「リヨン——シェネーフ」から「ラゴ・マジョーレ」まで「山岳 第十年第一号」日本山岳会、1915(大正4)年9月<br>「コモの湖」から「オーベル・ピンツガウ」まで「山岳 第十年第二号」日本山岳会、1915(大正4)年12月<br> 「ベルン」から「シュピーツ」まで「山岳 第十年第三号、第十一年第二号」日本山岳会、1916(大正5)年5月、1916(大正5)年12月
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2021-09-01 / 2021-08-28
長さの目安約 414 ページ(500字/頁で計算)

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本文より







 忘却は人間の有する最大の幸福である。私達の目まぐるしい生活が、あらゆる感情の綯い交じったその日その日が、有りの儘に私達の在る限り、胸の中にたたまれてあるとしたら、それを負うて歩まねばならぬ人の運命はいかに悲惨なものだろうか。
 雑然たる生活の断片を紙に残すのは、この意味に於て明らかに矛盾である。しかもそれを敢えてするのは私の過去に於てアルプスの雪の間に送った月日が、そのいずれの瞬間を思い出しても何の悔ゆることのない、白日に露すとも何等不安を感じない生活であったのを確かめているからである。
 山に対する時私は云い知らぬ喜びを覚える。しかし読者はこの日記によって同じ感じを得ることが無いかも知れない、がそれはあながち私の負うべき責ではあるまい。何となれば、山のささやくは自然の声であって、言葉は竟に人の心に過ぎないからである。私は明らかにその声を聴く、しかしそれを表わす言葉の無いのを如何にしよう。只この日記が、偉大なる山岳を汚損する如き傾向を、僅かなりとも読者の心に与えなければ、私はそれを以て充分に満足する。

大正十一年七月
著者
[#改丁]
[#ページの左右中央]


スウィス日記



[#改ページ]
リヨン――シェネーフ(ジュネーヴ)Lyon――Gen[#挿絵]ve



 ローンを右に見る汽車の窓に、むら消えの雪の間に、霜げたがさすが若草か緑の牧も見えて、丘は赤瓦の百姓屋、川やなぎ、ポプラ、背戸に積んだ刈り草の、空はやわらかにうすら霞んで、南欧らしい気分は、急行の汽車の中までただようている。ふりかえるとリヨンの街は、どんよりともう立ちこめた烟の中に隠れて、今となれば、さすがもの悲しいフールヴィエの丘の雪も、岸のポプラのむら立ちも、あわただしく別れては来たがこの都も、

別れ路にまた降りそめし川岸のポプラの群のかおる朝雨。

 それもよし、今宵は雪のスウィスである。室にかけたシャモニーの広告もうれしかった。
 私は窓ぎわのテーブルに、スウィスの地図を拡げる。もう一人のお客さんは、入り口の方に倚りかかってこくりこくりやって御座ったが、やがて、アヴァランシュのような大鼾をかき初めた。汽車は鼾を物ともせず、同じような響をたてて、丘の間を走ってゆく。折り折りテレースの上に小さな村が表われる、南表は雪解けの赤屋根であった。
 川をはなれると、雪はだんだん深くなって、露わなポプラの木立、遠い丘の、これも真白に包まれた上に、尖塔の夕日に閃くのが、何とも云えず美しかった。が、それも暫し、日の沈む頃には、やや谷合いの雪が深くなったと思えば、さらさらと窓に散る、汽車は粉雪に包まれてゆく。アヴァランシュはそのうちふと眼を覚まして、しばらくもじもじしていたが、烟むそうな顔をして出てしまった。あとは一人で気楽である。
 とある停車場でガルソンを呼んで、御茶を運ばせる。…

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