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続スウィス日記(千九百二十三年稿)
ぞくスウィスにっき(せんきゅうひゃくにじゅうさんねんこう) |
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作品ID | 59446 |
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著者 | 辻村 伊助 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「スウィス日記」 平凡社ライブラリー、平凡社 1998(平成10)年2月15日 |
入力者 | 富田晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2022-04-22 / 2022-03-30 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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帰郷
蒼茫として暮れてゆくアルプスの群山を仰げば、あの氷の上を羚羊のごとく跳び廻った日が夢のように遠い。
日に露された蛍光石の闇に光を放つように、身に沁みた歓びを胸底に秘して、眼を閉じて回顧に耽った幾年が、今、こうして染み染みと山に対えば、あたかも果敢ない幻影であったかの如く思われる。僅かに放射する有るか無きかの光、それを以て如何にして太陽の光輝を想い得よう、日に照せば彼は一片の石塊となる、回顧は竟に茫乎として去った夢を趁うに過ぎない……私はつくづくと年の経ったのを感じた。
妻と小さな子供を伴れている私には、横浜を出るとき親しい友達は桟橋に残ってしまったが、それでも旅らしい気分になれなかった。
一と月半の船の上も平常と全くかけ離れた生活ではない。次ぎ次ぎと現われて来る港々の景色にもこれと云う変りは認めなかった。然し航路は山へ急ぐ旅人にも決して不快なものではない。アラビヤの沙漠をわたる熱風を満面に浴びて遠くシナイの山顛を眺め、火のような阿弗利加の、空にはアクラブ Akrab, 10000ft. の英姿を仰いで、いくたび船の上で山を讃美したろう。
涼風の通う地中海に、マストに近くクリートの残雪を指さし、乱積雲を想わせるエトナの噴煙を左舷に望めば、リパリ、ストロムボリと、指顧に暇ない船はガルフ・ドゥ・リヨンの平な水をわたって、地平線上には霞のようにアルプ・マルティムが現われて来る。
日の強い南欧の平野をあとに、昨日はジュネーヴの風に吹かれて、透明な真夏の空に、サレーヴの新緑を旅宿の窓に眺めた時も、亦、その麓を囲む白亜の家と濃い碧藍を埋めたレマンの湖を見下しても、朝夕逢う友人に何の変りも認めないように、記憶のままなのを当然であると思っていた。
汽車はオーベルラントの高原を走って、窓を吹きぬける風は水のように冷い。新緑の丘と碧玉の水と、それを点接する白樺の梢に遠く、キラッと光るアルプスの主脈を瞥見した時、渦巻くようにこみ上げて来る感激に胸は一杯になった。磁石の鉄片を吸うように山は力強くこの心を引く、「我がこころ高原にあり」と歌った詩人の声を私は明らかにこの耳に聴いた。
自然に対するとき人は微細な鉄屑に過ぎぬ、腕は父らしく無心の児を抱いているが、天外の雪に吸いよせられるこの心をどうすることも出来ないのだ。私は手帳の片はしに
人も惜しされどいつしか妻を趁ふ眸は雪の山にむかへる
と書きつけて寂しく妻をかえりみた。
沿線の牧場に遊ぶ牛の群が子供達の興をひいた、然し父の耳には牛の鈴のほがらかな響さえ、かれの過ぎ去った日を葬る挽鐘のように悲しく響いた。この六年の間遠く故郷に離れていた妻は、今再び、彼女を生み彼女を孚んだアルプスの連嶺に迎えられる喜びを子供達に分けようとする様に、頬ずりしながら山を指す姿を見ると、私は寥しくなってゆくばかりだ。父として夫…