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文学教育と言語教育
ぶんがくきょういくとげんごきょういく |
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作品ID | 59458 |
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著者 | 時枝 誠記 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「時枝誠記国語教育論集 Ⅰ」 明治図書出版 1984(昭和59)年4月 |
初出 | 「信濃教育 第八二二号」1955(昭和30)年6月 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 持田和踏 |
公開 / 更新 | 2022-12-06 / 2022-11-26 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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「信濃教育」の池田さんが訪ねて来られて、原稿執筆を承諾してから間もなく、私は、四国松山の道後で開かれた愛媛国語教育研究大会に招かれて、五日間ほどの旅行を続けた。講師は、法政大学の古田拡氏、成蹊学園の滑川道夫氏と私とで、会の主題は、作文と文法といふことであつた。道々、「信濃教育」への原稿のことなども気にしながら、松山へ着いた。駅では、主催者の仲田庸幸氏の出迎へを受け、宿に着くと、同研究会の機関誌「国語研究」第十九号が刷上つてゐて、早速それを頂戴して拝見することが出来た。重松信弘教授の「国語教育における論理主義」といふ私の文学教育観(「国語教育の方法」)に対する駁論が、私の来松を歓迎するかのやうに、巻頭に掲げられてゐる。翌日、重松博士にお目にかかつた時、「御批評ありがたく拝見しました。どうも私の書き方が下手だつた為に、充分御理解いたゞけなかつたことは残念です」と申した底意には、御批評をそのまゝには頂戴いたしかねることを述べたことになつてしまつて、もつと論争を展開すべきであつたのに、滞在中その機会もなく、松山を立つて来てしまつた。しかしよく考へてみると、私の文学教育観にも未熟なところがあり、叙述の不充分なところもあつて、多くの方々に重松教授と同様な、あらぬ誤解を抱かせてゐるのではないかといふことが反省させられたのであつた。帰途は滑川道夫さんと、高浜から別府航路で神戸へ、神戸から東京へと、船中車中で、ビールを傾けながら、私は滑川さんの意見を叩いた。ここで、滑川さんと私との対談を仔細に記録すると、いくらか面白い読物になりさうなのであるが、私の記憶も確かでない上に、滑川さんの校閲を経ないで、御意見をまげて記録してしまふやうなことになつたとしたならば、大変申訳ないことになるので、ここでは私の一方的な考へを述べるに止めて置かうと思ふ。
私は「国語教育の方法」の中で、次のやうなことを言つてゐる。
読書の目的や、談話の目的は、知識や思想を獲得することであらうが、国語教育の目的は、獲得される知識や思想にあるのではなく、それを獲得する手段即ち読み方、聞き方にあるのである(四〇―四一頁)。
右の考へ方は、その根本において、正しいと今でも確信してゐるものであるが、右の議論は、受取り方によつては、甚しい誤解を招かないとも限らない。言語には、形式面と内容面とがあるといふ一般通念で解釈すると、私が、形式面だけを学校教育で問題にし、内容面の教育は、国語教育の埓外であるといふことにもなりさうである。現に、重松教授はそのやうに理解された。言語教育と文学教育とを対立させる立場では、言語教育は言語の技術面を、文学教育は言語の内容面を分担するものと考へられてゐるやうである。そして、人間形成に関与するのは、言語の内容面の教育である文学教育であるとされてゐる。私の見解を、通念に従つて理解すれば以上のや…